Do you see the GIRL

元・アニメ制作進行の自分が、アニメを見ての感想だったり、映画を見ての考察だったり、エロゲをやって勃ったことだったりを書いていくブログです。

【ヨコハマ買い出し紀行(芦奈野ひとし)】アニメ版の演出のアレやコレや。あとエロス。

第9回は、前回の異色終末SFで取り上げた「ヨコハマ買い出し紀行(以下ヨコハマ)」について詳しく書いていきます。

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今までのエントリではは基本的にその作品を未読の人への紹介的な内容でしたが、今回は読んだ人向けです。

原作以上の「ヨコハマらしさ」があるアニメ版

アニメ版は基本的に原作に沿ったストーリーです(話数のシャッフルはありますが)。
しかしその中で原作にはないカットや"間"が多く挿入されており、それが「原作以上のヨコハマらしさ」という不思議な感覚を生み出しています。


たとえば原作2巻12話(アニメ版1話終盤)でアルファさんがカメラを持っておじさんのところに行って、おじさんを撮ろうとするシーンです。
原作でもおじさんはそのとき水撒きをしていたのですが(1コマだけ映っています)、アニメ版ではその撒いた水がだんだん乾いていく様子で時間経過を表現しています。

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上の3つのカットはそれぞれ別カットで、シーンとシーンの間に挟まれています。
それぞれのカット自体はさほど長くないのですが、同じ構図で少しずつ変化していくものを見せることで、体感的に長く感じられるのです。
このシーンは原作でもポンポンと進んでいくシーンなので、このカットを挟まずとも成立します。
しかし、この"間"が入ることで、アルファさんが長々じっくりと悩んでいるのを感じることができます。


また、原作2巻9話(アニメ版1話中盤)のアルファさんとココネの二人で車を待っているシーンについて。
ここも基本的に原作通りの進行ですが、ところどころに周辺の風景を写すだけのカットが挿入されます。
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原作でも確かにこの場所のすぐ近くで二人は話しているのですが、これらの風景はほとんど描写されません。
ともすれば作品の印象すら変えかねないこれらのカットですが、原作も読みアニメ版も見終わって振り返ってみると、ヨコハマといえばこの風景といっても過言ではないカットになっています。

贅沢なアニメ

本作を表現するときに「贅沢なアニメ」という言い方ができます。
というのも、要所要所のカットの尺が非常に長く取られているためです。

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例えばアニメ第1話終盤のこのカット、「空が段々と暗くなっていき、街灯が点く」というカットなのですが、台詞なしで約17秒あります。
原作ではたった1コマのシーンです(当たり前ですが)。
もちろん、とにかくカットが長ければいいというわけではありません。
短く切るべきところはそうすべきですし、大事な場面でも長いカットばかり多用していると間延びしてしまいます。
「カットの長さ」を上手く使い、贅沢でのんびりとした空間を生み出しているのが、本作の見所の一つと言えるでしょう。

また、アニメ版のこの演出は、原作の「読み方」にも影響を及ぼします。
原作も非常に台詞が少ないので、意識しなければトントンと読み進んでしまいます。
原作だけ読んでいるとそのまま読み終わってしまうのですが、アニメ版を見た後だと、早回しで読んでいるような感覚になります。
そこで、アニメ版のテンポを思い出しながら読むと、意識せずに読んだときと全く違う印象を受けるはずです。
もちろん漫画の読み方など人それぞれですし、この読み方が必ずしも正しいとは思いませんが、アニメ版は一つの読み方を示してくれる「参考書」のような存在とも言えるでしょう。

ノスタルジーとエロス

真面目なヨコハマファンからはひんしゅくを買いそうですが、本作を語る上でどうしても避けて通れないのがいわゆる「萌え・エロス」です。
本作には非常に似つかわしくない言葉だということは重々承知していますが、的確に表現する言葉が見つからないのでひとまずこれで。
具体的な例を挙げると、

・アンドロイド少女
・アルファさんとココネの百合
・アルファさんとタカヒロのおねショタ
タカヒロの成長による逆転
・ロリ幼なじみのマッキ
・牛乳を飲むと「じ~~~ん」とくるアルファさん

詰め込めるだけ詰め込んでいる感じすらしませんか。
まあこれらはあえて俗っぽい言い方をしただけですが、上記の要素全てが、押しつけがましくなく物語に組み込まれているのが他の「萌え作品」とは一線を画している点だと思います。

それにしても「アンドロイド少女同士の百合」の作品って意外に少ないみたいですね。
そう考えるとかなりニッチな層を狙った非常にフェティッシュな作品とも…。
「ヨコハマを百合作品なんかと一緒にすんじゃねえ!!」というお怒りの声も聞こえてきそうですが、初対面でチューしてその後も意識しまくってる描写バリバリで百合じゃないと言えますか。

僕はプリズマ☆イリヤみたいに直球えっちな作品も大好きですが、ヨコハマにはそれとはまた違ったドキドキ感があると思うんです。
本作のようなエロからほど遠い作品独特の「ノスタルジーなエロス」ってあると思いませんか?

小学4年生の夏、黒いぐらいに青い空、焼き付けるような陽差し、うるさいぐらいの蝉の鳴き声、そして近所のカフェのお姉さん…。

直接的な描写がないだけに、こういったキーワードだけでかなり想像を膨らませることができます。
単純な「萌え」とも単純な「エロ」ともひと味違う「何か」がヨコハマのそこかしこにちりばめられているのです。

三浦半島に行った話

まだ本作を知る前のある日のこと、僕は原付で三浦半島をぐるっと一周する日帰りの旅行に行きました。
半島の先の方まで行くと広々とした田園風景が広がっていました。

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しばらく経って初めてヨコハマを読んで作中の田園風景を見たとき、三浦半島のこの景色を思い出しました。
しかし、2巻の表紙折り返しコメントにこんなことが書かれていました。

風景についてのおたよりに、「沖縄に似た所がある」という方や「北海道のイメージだ」という方がありました。
この場所は、そこに行ってみると拍子ぬけするほどありふれた、そこら中にあるような所です。

実際の舞台である三浦半島に行ったという点で、それ以外の土地に対して持つ感覚とは微妙に違うのかも知れません。
しかし、僕が見た田園風景も決して特別ではない「そこら中にあるような所」なのだろうと感じました。



…ちょっと散歩でもしてみようかな。

日常系好きにも楽しめる「異色終末SF」4選

第8回は、「異色終末SF」と題して、一風変わった終末SF作品について語っていきます。
そもそも終末SFとは何ぞやということで、Wikipedia「終末もの」の概要を引用します。

終末もの(しゅうまつもの)あるいは破滅もの(はめつもの)とは、フィクションのサブジャンルの一つで、大規模な戦争、大規模な自然災害、爆発的に流行する疫病などの巨大な災害、あるいは超越的な事象によって、文明や人類が死に絶える様を描くもの(Apocalyptic fiction)、あるいは文明が死に絶えた後の世界を描くもの(Post-apocalyptic fiction)である。

北斗の拳』や『ナウシカ』などの世界観を想像してもらえれば分かりやすいかと思います。
今回は、「終末」の世界観を取り入れつつひと味違った雰囲気を醸し出しているSF作品たちをご紹介します。

 

少女終末旅行(つくみず著 - BUNCH COMICS)

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タイトルの通り、二人の「少女」が「終末」世界を「旅行」する漫画です。
二人が旅を続け、その行く先々で見つけた施設やそこで出会った人々とのエピソードをかなりまったりとしたテンポで描いています。

第2話「戦争」で、主人公のチトとユーリは食料を探して旅を続けるうちに、武器の投棄場のようなところに辿り着きます。
そこで普段はボケーッとしているユーリ(画像右)がこう言います。

昔の人も食料不足だったんだよね
なんで武器ばっかり作ったの?

真面目に回答すれば、
「たまたま彼女らが辿り着いたのが武器の投棄場なだけで、昔の人も武器ばかり作っていたわけではない」
といったところでしょう。
しかし、何も知らないまっさらな目で見たらそう思うのか、とハッとさせられます。

このように、読み終わった後に少し自分の中で考えなおしてみたくなる内容だったり、かと思えば何も考えずのんびりふわふわできる日常的な内容だったり、「終末」という世界観を存分に堪能できる作品です。

冒頭に貼った画像の通りざっくりとした絵柄ですが、それが作風と絶妙にマッチしています。
見開きのキメのコマなどは息をのむような印象すら受けます。

「異色終末SF」としてご紹介しましたが、「日常もの」が好きな人でも「異色日常もの」として楽しめる作品だと思います。

Web連載で無料公開されているので是非ご一読あれ。

 

(※2017/7/5 追記)

アニメ化が決定しましたね。

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ティザービジュアルは作品の雰囲気が出ていて非常に良いです。

原作の作風が作風だけに映像化には期待も不安もありますが、今は座して待つのみです。

 

ヨコハマ買い出し紀行芦奈野ひとし著 - 月刊アフタヌーン

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1994年から2006年までの12年間に渡り連載されていた漫画です。
1998年と2002年の二度OVAが発売されました。
海面上昇により沿岸部が海に沈み、穏やかに終末へと向かっていく近未来の三浦半島(とその周辺)が舞台です。

原作1巻の表紙折り返しの作者コメントが非常に印象的です。

お祭りのようだった世の中がゆっくりとおちついてきたあのころ。
のちに夕凪の時代と呼ばれるてろてろの時間、御案内。夜の前に、あったかいコンクリートにすわって。

 OVA1期のEDでナレーション的に挿入されるので、OVA版を見た方には特に印象深いかと思います。

このコメントを読んで「おっ」と思える方であれば原作もOVA版も強くオススメします。
期待通り、あるいはそれ以上の「てろてろの時間」が迎えてくれることでしょう。

本作の主人公は「ロボットの人」の女性アルファさん。
特に4年で寿命を迎えることもなく、「滅び行く世界の中に残り続ける人」という本作中でSF的にも大事な役割を果たしています。
とは言っても上述の通り悲壮感はほぼ無く、どちらかと言えば「哀愁」という表現の方がしっくりきます。

また、本作では、「海に沈んだ街」が随所で(特にOVA版では多く)描かれているのですが、これも不思議なまでに悲壮感はなく、「美しい風景」として読者(視聴者)の頭に焼き付けられます。

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普通「海に沈んだ街」という絵は、ウルトラマンレオの1,2話など、どうイメージしようとしても絶望的な場面に繋がってしまうものです。

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それを描き方一つでこれほどまでに「あたたかいもの」として見せられているのが、本作の最も優れた点の一つだと思います。

 

人類は衰退しました田中ロミオ著 - ガガガ文庫

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2007年から2014年まで出版されたライトノベルです。
2012年にTVアニメ化されました。
ヨコハマ買い出し紀行」と少し似ていて、人類がゆったりとした終末を迎えつつある世界が舞台です。
こちらは世界観としては「ファンタジー世界の田舎町」といったところでしょうか(実際には「アメリカ」などの単語も出てくるので地球の未来が舞台ではあるようですが)。

本作の最も重要な要素が「妖精さん」です。

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今で言う人類は衰退し「旧人類」と呼ばれ、「現人類」として妖精さんが地球に繁栄しています。
非常に高度な文明を持ち、物理法則など完全に無視した道具を平然と作り出します。
主人公の「私」が妖精さん達の引き起こす事件に巻き込まれながら話が進んでいく、というのが本作の基本的な展開です。

本作は上記2作品と比べるとかなりSF色が強い作品になっています。
基本的には文庫1冊に中編が2話ずつ収められている形式なのですが、その中でもファンタジー要素の強い話、怪奇小説めいた話、タイムトラベルの話、漫画雑誌のアンケート制(あるいはそれに踊らされる読者)を痛烈に皮肉った話、実際に起こった出来事を独自の解釈で発展させた話、主人公が宇宙まで飛び出していく話など、かなりバラエティに富んでいます。
しかし、各エピソードの根底には"SF"が常に存在し、作品全体に不思議な統一感があります。

「普段はSF小説しか読まないけど、たまにはラノベでも読んでやるか」という方には大変とっつきやすい作品だと思います。

 

ドラえもん のび太と鉄人兵団藤子・F・不二雄著 - コロコロコミック

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大長編ドラえもんの第7作。
1985年から1986年にかけて連載され、連載終了直後の1986年に映画が公開されました。

あらかじめ言っておきますと、本作は終末SFではありません。
「厳密には終末SFではない」などではなく、断じて終末SFではありません。

が、実は数多くのSF作品を世に出している藤子・F・不二雄先生。
本作は大長編ドラえもんの中でも群を抜いて"SF"しています。

ロボット軍(鉄人兵団)の地球侵略、ディストピアタイムリープ、そしてもちろんドラえもんひみつ道具など、様々なSF要素がありますが、終末SF的だと感じたのは、ひみつ道具「入りこみ鏡」「逆世界入り込みオイル」で入り込むことができる「鏡面世界」という設定です。
鏡面世界とは、文字通り鏡の中の世界で、現実世界が左右反転されたそのままの形ですが人間や動物は一切存在しません。
地球を侵略しに来た鉄人兵団にのび太たちが抗戦する際、地球が破壊されないようにするため、この鏡面世界に誘い込みました。
そして鏡面世界を舞台に、強大な鉄人兵団との壮絶な戦いを繰り広げるのですが、この「自分たち以外誰もいない世界での絶望的な戦い」というのがまさに終末SFの世界観そのものなのです。

本作で最も印象に残っているのが、逃げ出したリルル(メインゲストキャラ、ロボットの女の子)とそれを追ってきたのび太が、鉄人兵団に破壊された街の地下鉄入口で対峙するシーンです。

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原作ではわずか2ページの短いシーンですが、この「地下鉄入口」という場所が、他にはない独特の雰囲気を醸し出しています。
破壊された街の絶望感、ロボットと人間の間で揺れるリルルの心、人類を守るためにはリルルを撃たなければいけないというのび太の葛藤など、多くの意味が込められた名シーンです。

なお、リメイク版である「ドラえもん 新・のび太と鉄人兵団 ~はばたけ 天使たち~」で主題歌を勤めたBUMP OF CHICKEN藤原基央氏も、当時のインタビューで、地下鉄入口のシーンを「いちばん思い入れのあるシーン」と語っています。
僕自身BUMP OF CHICKENのファンなので、藤原氏が僕と同じシーンに思い入れがあると知って少し嬉しかったです。

藤原氏もオススメの本作、原作・旧劇場版・リメイク版とどれも素晴らしい出来なので、是非とも全て読んで(観て)いただきたい作品です。

 

終わりに

これらの「異色終末SF」は、一般的な終末SFが好きな人にこそ読んでいただきたいと思っています。
もちろん、予備知識がなくてもどれも大変面白い作品です。
しかし、終末SFに登場する設定の一般的な使われ方に対して、これらの作品における使われ方の特殊さや異様さがわかる人にとっては、その「違い」も大きな楽しみの一つになるでしょう。
そうでない人も、これらの作品を通して、普段の生活であまり考えることのない「終末」の世界に触れてみていただければと思います。

「エロゲ」がアニメや漫画とどう違うか

第8回は、「エロゲ」というものについて。

tkntkn0703.hatenablog.com第2回で『まいてつ』というエロゲについてお話ししましたが、今回はエロゲそのものについてお話しします。
ちなみに今回のエントリでは「エロゲ」という単語の意味合いは、便宜上「エロシーンはあってもなくてもよい。ある程度ストーリー性のあるPCゲーム」ぐらいにさせてください。

【エロ無し】CLANNAD恋姫†無双【エロ多い】

エロの度合い的にはこれぐらいの幅で。

何故アニメでも漫画でもなくエロゲなのか

いきなり答えの出しにくいテーマを挙げてしまいましたが…。
エロゲ業界の方がもし当ブログを見てくださっていれば是非ともスマートな回答を頂きたいところですが、とりあえずは自分なりの考えを書きます。

アニメや漫画にないエロゲの最大の利点は、やはり「ルート分岐」です(厳密に言えばアニメでも漫画でもできなくはないですが、ここでは割愛)。
同じ世界観のもとに各ヒロインのルートに分岐して、それぞれのエピソードを楽しむことができます。

それと「主人公視点である」ということもエロゲの特徴の一つです。
ヒロインがプレイヤー自身に語りかけてくるような感覚はアニメや漫画では非常に再現しにくいかと思います。

エロゲではありませんが『THE IDOLM@STER』や『艦これ』といった「ヒロインが主人公のことを肩書きで呼ぶゲーム」において、この感覚は顕著になります。
「プロデューサー!」や「提督ゥ!」という呼びかけは、どんなプレイヤーにも当てはめることができます。
このシステムは「上司を肩書きで呼ぶ」という文化がある国でしかできないことでしょう。
例えばアメリカでアイマスや艦これがリリースされても日本ほどのヒットにはならないんじゃないかなぁと思います。

「主人公視点」というのはハーレム状態になったときにもまた威力を発揮します。

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(『まいてつ』より)

全ての女の子が自分の方を向いている状況。
なかなか圧巻です。

攻略順における3つのパターン

分岐システムのあるゲームをプレイする上で重要なのが「攻略順」です。
これには大きく分けて3つのパターンがあります。

1.メインヒロインから攻略する

これは作品の世界観を楽しむのに最も適した攻略法でしょう。
作る側としてもその作品で一番伝えたいテーマはメインヒロインのシナリオに充てるでしょうから、極端な言い方をすればサブヒロインは「if」の世界です。
それら「if」の情報が入る前にメインルートを攻略することで、作り手の意図したものと最も近いものをプレイできます。

2.自分の好みのヒロインから攻略する

ただ単に己の欲望に忠実なだけに見えますが、好みのヒロインを最後の楽しみに取っておかずに最初に攻略することに大きな意味があります。
ほとんどのゲームには「共通ルート」が存在し、そこから各ルートに分岐していきます。
また、別々のルートでも完全に分岐しきるまではテキストが同じ場合もあります。
多くのプレイヤーは「再開するのは分岐から」「既読文章はスキップ」でプレイすると思います。
好みのヒロインのルートでは、そうやって文章が不完全な形で読み進めていくのがなんとも勿体なく思えてしまうのです。
単純に「分岐から再開」「既読スキップ」をせずに最初からきちんとプレイすればよいだけの話ではあるのですが、なかなかどうして一度読んだ文章というのはおざなりになりがちです。
そういった事態を防ぐために、好みのヒロインを優先的に攻略するというのは一つの優れた手段だと言えます。

3.直感のままに進める

これはゲーム的な楽しみ方をするタイプです。
攻略サイト等は一切見ない。
行きたいルートに行けなくても、BAD ENDになってしまっても、それも楽しみの一つとして受け入れる、最も自然で、かつある意味最も贅沢なプレイスタイルと言えるでしょう。

エロゲのシナリオに求めるモノ

僕がエロゲのシナリオで最も重視しているのは「そのヒロインの魅力を最大限に発揮できているか」という点です。
例として、先日プレイした『見上げてごらん、夜空の星を』を挙げます。

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天文部を舞台とした王道青春部活モノです。

このゲームには「ひかり」「沙夜」「ころな」「織姫」という4人の攻略ヒロインがいます。
単純なストーリーの良さで言えば圧倒的にひかりルートでした。
しかし、上述の「ヒロインの魅力を発揮する」という観点で言えば、ころなルートが白眉でした。

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この場合、「どのルートが一番よかったか」と聞かれると、僕は「ころなルート」と答えるでしょう。
アニメや漫画とも違う、「各ヒロインのルート」が存在するエロゲならではの価値観だと思います。



マブラヴ オルタネイティヴ』は特殊な事例ということで。

【おまけ】エロゲっぽい曲

これは話半分で聞いてもらっていいのですが…。


時をかける少女』主題歌の「ガーネット」って、なんかエロゲっぽさないですか。

youtu.be時かけ』の夏っぽさとか青春っぽさとか含めて…ね?

【ロウきゅーぶ!(アニメ版)】ロリ作品のあるべき姿とは

第7回は、「ロウきゅーぶ!」を見て『ロリ作品』というものについて思うこと。

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当ブログでもロリ好きを公言してきた僕ですがが、実はこの作品は見たことがありませんでした。

ロウきゅーぶ!」は、

 ・百合アニメにおける「マリア様がみてる
 ・SF映画における「2001年宇宙の旅
 ・怪獣映画における「ゴジラ
 
のように、世間ではロリ作品の代表とされているのではないでしょうか(ちなみに僕の中でのロリ作品の代表は「ロリータ(ナボコフ)」です)。
ここは一つ教養のためにと思い本作を見始めたのですが、「ロリ作品の皮を被った一般の萌えアニメ」という印象しか受けることができず、5話で視聴を断念してしまいました。

 

主人公とヒロインたちの初顔合わせ

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はっきり言ってこれはない。
「これはない」という表現があまり好きじゃない僕でさえも言いたくなるほど「これはない」。

メイド服なんか着たらせっかくの"小学生"というアドバンテージが全然活かせないじゃないですか。
「ロリメイド」という枠もありますが、それは「デフォルトでロリメイドキャラ」か、「普通のロリキャラが、ある程度登場回数を重ねて視聴者にもキャラクターを掴ませてからのメイド服着用」のどちらかにすべきです。

…だいぶ僕の個人的趣味が出てしまった気もしますが、ともかく「とりあえずメイド服着せときゃ食いつくやろ!」感が滲み出ていて非常に印象の悪い冒頭でした。

 

普通のラブコメじゃん!!

本作はヒロインが小学生ということでパッと見はロリ作品に分類されます。
しかし本作で問題だったのが、
「ロリ作品であるにも関わらず、主人公が背徳感や罪悪感なく普っ通にラブコメしてる」
という点です。

この点が本作を「一般の萌えアニメ」と思わせてしまう一番の原因だと思います。
小学生ヒロインでなければ僕もわざわざこんな口出ししません。
「ほら、ウチの作品ヒロインが小学生とかマジロリコン!ヤバいやろ!!」という話題性だけを重視して一般向けに広く売り出してる(いわゆるファッションロリコン向け)感が気にくわないのです。

 

こどものじかん」との比較

じゃあどういう作品が本当の「ロリ作品」というのか。
そう、ロリ作品の金字塔といえば「こどものじかん」です。

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主人公の青木先生(小学校教諭)は、終始「小学生に欲情しちゃだめだ!」というスタンスをとり続けます(小3のヒロイン九重に対して第2話の時点で欲情してるので完全にアウトですが)。
青木先生は理性でいろいろと押さえ込んでいますが、基本的に小学生に欲情しっぱなしです。
そんな青木先生のこんなモノローグがあります。

そうか
オレが好きなのは九重であって

九重が子供だから好きなんじゃない
てことは…

ロリコンじゃねえ!

完全にロリコンの論法ですね。
こどものじかん」は基本的にこんな調子で「青木先生やべえよ…」みたいなのを楽しむ感じです。

「ロリ作品かくあるべし」と思わせてくれる作品です。

 

逆に…

逆に考えると、青木先生は「わかりやすく危険なロリコン」ですが、ロウきゅーぶ!の主人公は「一見自然な感じで危険性を感じさせないガチのロリコン」という意味で相当な危険人物なのかもしれません。

いずれにせよ「僕の好きなタイプのロリコン」ではないことは変わりませんが。

【四畳半神話大系(アニメ版)】史上最狭の青春SF

第6回になる今回は、ミクロ的かつ超弩級のSF青春アニメ「四畳半神話大系」について。

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原作は2005年に刊行された森見登美彦の小説で、2010年春にTVアニメが放送されました。
森見氏の「太陽の塔」や「夜は短し歩けよ乙女」と同じく、京都大学のくされ大学生を主人公にした物語です。

 

鬱屈とした「私」

主人公である「私」は、基本的に他者を見下し、自分以外は全員馬鹿だと思っているような人間です。
しかし実際には他人とのコミュニケーションが極端に苦手で、サークルに入ってもそこで活躍できるわけではないという半端者。
それでもやっぱり他人を見下すのはやめない…。

「世間の馬鹿共にはこの私の聡明さが理解できんのだ!」という感情は多くの人が持っていると思います。
「私」は、そういった鬱屈とした人たちの代弁者とも言えるでしょう。

 

喝ヒロイン・明石さん

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「夜は短し~」の『黒髪の乙女』など、森見作品のヒロインは本当に魅力的です。

本作のヒロイン明石さんは、『黒髪の乙女』とはまた違ったタイプの黒髪ヒロインです。
『黒髪の乙女』がいわゆる不思議系だったのに対し、明石さんは、聡明でどこまでも毅然としています。
現代日本の媚び媚びのアニメヒロイン共に喝を入れてくれる存在です。
「私」同様「そのまま君の道をひた走れ」と心の中で熱いエールを送りたくなります。

「また阿呆なもの作りましたね」「先輩は阿呆ですね」と、ことあるごとに「私」を阿呆呼ばわりしてくれるのもまた心地よい。

 

キャスティングの妙

本作のキャスティングは大変素晴らしかったです。

まずは何と言っても「私」役の浅沼晋太郎さん。
森見作品の淡々としていながらも独特の言い回し(モノローグ)をこれほどまでに完璧に演じられる人間が他にいるでしょうか。
特に「私」一人で最初から最後までぶっ通しで喋り続けた第10話は圧巻でした。

別作品になりますが、「生徒会役員共」のタカトシ役でのツッコミ無双も必聴です。

明石さん役の坂本真綾さんも素晴らしかったです。
凛としつつも鈴を転がすような声で明石さんの魅力を十二分に発揮できていたと思います。

そして小津役の吉野裕行さんもドハマリでした。
吉野さんは「うたわれるもの」のヌワンギやら「SHIROBAKO」のタローやら、いやらしい感じのキャラをやらせたら天下一品ですね。

 

四畳半迷宮の終わり、そして…

各話のエピソードもそれぞれに面白いのですが、全てが集約していくクライマックス抜きにしては本作は語れないでしょう。
特に10話から11話前半にかけてひたすら四畳半の迷宮を巡り続けていた「私」が外界へ出て、生まれたままの姿で走り幅跳びをする姿は奇妙な感動すら覚えます。

ちょっとした話ですが、騒動が一段落したところで樋口師匠が「これで前を隠せ」と素っ裸の「私」にスカーフを渡したシーンは「走れメロス」のパロディではないかと思っています。
森見氏は「新釈 走れメロス」も執筆されてますしね。

モノローグを聴いているだけで楽しい本作ですが、エピローグ直前の「成就した恋ほど語るに値しないものはない」というのは最高にスタイリッシュな締めでしたね。
森見氏のこういった心地よい文章には脱帽するばかりです。
最後の「私」の「俺なりの愛だ」も拍手したくなるようなオチでした。

【げんしけん(木尾士目)】斑目晴信、オタクっぽいオタク

(注:今回のエントリでは「オタク」という単語は、「世間一般の言ういわゆるオタク」的な意味合いで使っています。)

第5回は漫画「げんしけん」について。

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2002年から2006年までアフタヌーンで連載されました。
大学の所謂「オタクサークル」を舞台にした作品で、「オタクもの」を代表する漫画といえるのではないでしょうか。
なお、現在も「二代目」が連載中ですが、残念ながらこちらは読んでいないので今回は触れませんのであしからず。
今回は主要登場人物の一人である斑目(マダラメ)について語りたいと思います。

斑目は、「こんなにオタクらしいオタクキャラは後にも先にも出てこないのではないか」と思えるほどに立派なオタクです。
これは「極端に気持ち悪いオタク」とか「ステレオタイプ的なオタク」という意味ではなく、言葉の通り「オタクっぽい」のです。
この「オタクっぽさ」は斑目のそれに焦点を当てたエピソードでも、それ以外の日常の細かい言動の中でも表れています。



■「自爆スキー」

第20話、部室が使用禁止になったために、ミーティングを各部員の自宅の持ちまわりで行うことになるエピソードです。
女性部員もいるので、他の部員たちはエロいものは見つからないようにする中、斑目は自分の部屋でのミーティングの際にあえて全く部屋を片付けません。
それを笹原は「自爆スキー」と評したのですが、これは斑目のオタクっぽさが顕著に表れていると思います。

オタクは自爆することで自分のオタクっぽさを際立たせて、自らのアイデンティティを保っているのではないでしょうか。


僕自身が自爆スキーだからそう思うだけなのかもしれませんが…。

また、このエピソードは、「結局斑目もエロDVD(実写)を隠していたのが見つかったけど、それは囮で本命の"咲のコスプレ写真"は隠し通した」というのがオチなのですが、この行為も非常にオタクっぽいですね。
ちょっと風変わりな作戦を立て、まるで自分が軍師にでもなったかのようにその駆け引きを楽しむ。
この作戦が成功したことを斑目は誰かに言いたくて仕方ないんだろうなぁと勝手に想像してしまいます。



斑目のオタクっぽい言動いろいろ

第2話でコーサカ宅に集まって格ゲーをやる際に、斑目は「大会しようぜ!レギュレーションどうする?」と発言します。
この「遊ぶ際にやたらにルールを作って仕切りたがる」というのがオタクっぽい。
リーダーシップとは全然違います。ルールを作ること自体が楽しいんですね。

第9話での冬コミ行きの電車の中で、つま先用カイロを靴に入れながら「暖かいっていう実感はないけどあるとないとじゃ大違いなんだぜ」と言い、笹原が「言ってましたね」と返すシーン。
「気に入った表現を何度も言いたくなる」というのもまたオタク特有な感じがします。
このエピソードでは、「冬だからな!」というセリフが久我山に「キャラ作りの一環」と評されていますが、僕はこちらのつま先用カイロのくだりの方がオタクっぽさを感じました。

第23話での斑目と咲の会話。
斑目「やだねぇ 色恋沙汰しか考えてない奴は!脳みそピンクなんじゃねーの」
咲「うわ~~~ オタクにだけは言われたくねぇ」
これはオタクと非オタクの感覚の違いをよく表していると思います。
これもまた自分の体験に基づく話になるのですが、僕も学生時代に非オタクの女性とよく同じようなやりとりをしていました。
オタクからすれば何でも恋愛に結びつけて考えてしまう女性が「脳みそピンク」で、逆に非オタクの女性からすればいつもアニメの女の子のことばかり考えているオタクが「脳みそピンク」。


お互いに自覚がないのがまたタチが悪いですね。



■咲との関係

今までは斑目のオタクっぽさをあげつらってきましたが、彼を語る上で欠かせないのが咲との関係。

まずは第14話鼻毛回。
恐らくここから咲への好意が明確になった(なり始めた?)、斑目のターニングポイントとなる回なのですが、やはりこの回でも斑目のオタクっぽさは遺憾なく発揮されています。
部室で斑目と咲が二人きりになり、沈黙に耐えられずカバンの中を漁るフリをし、挙げ句の果てに何かを思い出したフリをして部室を出て行ってしまうなんてオタク以外の何者でもありませんね。
また、部室に二人きりで会話が無いというシチュエーションとはいえ、とにかく斑目のモノローグが多いこと多いこと。
咲の鼻毛が出ているのを『さりげなく』『自然に』『笑い話で済むように』と思考が巡りまくっているのもそうですし、その後に「考える前に動け!!」って"考えて"しまっているあたりがもうどうしようもなくオタクですね。
結局その後咲にぶん殴られて、斑目はカバンを置いたまま部室から出て行ってしまうのですが、この回の最後のコマでそのカバンが意味深に映っているのが、この漫画で今までになかった異色な雰囲気を醸し出しています。

そして第32話寿司屋回。
斑目の台詞の中でもとりわけオタクっぽさが滲み出ている名台詞「……俺らって ケンカしてなかったっけ」が炸裂します。
寿司屋内での会話に関しては結構はっきりと斑目の内面が描かれているので特に言及しませんが、気になるのは帰路の電車の中。
鼻毛回と同様にラスト数コマは無言で終わります。
そして鼻毛回では部室に置きっ放しだったカバンを、今回は斑目がしっかりと抱きかかえているのも印象的です。

…深読みしすぎですかそうですか。

ちなみにげんしけん無印主義者の僕としては斑目と咲の話はここで終わり、二代目の告白なんて信じない、というスタンスです。
どうでもいいですね。



■ラストエピソードに集約された全て

最終巻の巻末特別書き下ろしで追い出しコンパのエピソードが収録されているのですが、ここにげんしけんの魅力の全てが詰まっていると言っても過言ではありません。
斑目が「第1回どうやったら春日部さんが萌えキャラになるか会議」を始めて、各部員が好き勝手言っていくのですが、斑目が「あ…思いついちゃった」と言って恥ずかしそうに一言、

「実は処女」

最高にオタクっぽい。

でもわかる。

そして何がまたオタクっぽいかと言うと、「あ」って言う前のコマで明らかに思いついてるんですよね。斑目の表情見ると。
それを言うべきか否かをしばらく考えてるのがオタクっぽい。

でもわかる。

そして咲がコーサカに自分のどこに萌えるか聞いて、
「咲ちゃんに萌えは… 無いなあ~~……
と言われて周りが凍り付くのもこの二人の関係をバッチリ表していると思います。


斑目のオタクっぽさ、班目と咲のラブコメ要素、咲とコーサカの関係性。
この短いページ数で完璧に表現している名エピソードだったと思います。



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さて、斑目の魅力はわかっていただけましたでしょうか。
「オタクっぽい」ってけなしているように聞こえるかもしれませんが、凄く褒めてるんですよ?

僕は「オタクっぽくない」と言われる方が嬉しいですが。

 

アニメ版のOPはノスタルジックな名曲なのでこちらも是非。

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【かみちゅ!】爽やかな尾道の風と、隠しきれない女子中学生感

第4回はアニメ「かみちゅ!」について。


何だかんだでアニメについて書くのは今回が初ですね。
かみちゅ!は2005年に放送されたオリジナルTVアニメ。
広島県尾道市をモデルにした街「日の出町」を舞台に、ある日突然神様になった女子中学生ゆりえの周りで起こる出来事を描いた作品です。
今回は、思わず「いいなァ~。」と口からこぼれてしまうこの名作アニメについて語っていきます。

 

作品を象徴する第1話cut1

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これは第1話のcut1、つまり本編が始まって最初に映るシーンなのですが、僕はこれこそが本作を象徴するカットになっていると思います。

まず窓の外に映る尾道の風景。
画面の左側に僅かに映っているだけですが、知っている人間であれば「あ、瀬戸内だ」と思うでしょうし、知らない人が見ても海に浮かぶ島々やその手前に並ぶ瓦屋根に情緒を感じることでしょう。

そしてゆりえがお弁当の卵焼きを一つ食べ、お箸を咥えたまま友人の光恵に一言。

「みつえちゃん、私、神様になっちゃった」

そして次のカットで光恵はごく自然に返事します。

「なんの?」

もうこの会話だけでこの作品の「人間が神様になることが日常である(正確には「やや珍しい」ぐらい)」という世界観が表現されています。
この冒頭のやりとりは『吾輩は猫である。名前はまだ無い。』ぐらいに素晴らしい書き出しだと僕は思います。

そしてこのcut1、ゆりえが「みつえちゃん、私、神様になっちゃった」と言うだけなんですが、尺が約21秒あります。
短くしようと思えば3,4秒ぐらいで済ませられる内容に対して、この贅沢な時間の使い方。
この点もこの作品ののんびりとした作風を象徴していると言えるでしょう。

 

名OP「晴れのちハレ!

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この作品の大きな魅力の一つがこのOP。
まず曲が「気持ちいい」ことこの上ないです。
イントロのワンフレーズを聴いただけで青空に舞い上がって行くかのような感覚になります。
Aメロは落ち着いて爽やかに、Bメロでちょっと切なげなメロディーになって、一気に弾けるようなサビ。
ボーカルの富田麻帆さんの歌声の清涼感も相まって最高の「気持ちよさ」を感じさせてくれます。

そしてアニメーションも大好きなんです。
登場キャラクターの日常を点描していく内容なのですが、あなたがこのOPを見て「こんな作品かな?」という印象を持ったら、それでまず間違いないと思います。
なので、OPを見て想像した内容が自分好みならば、絶対にこの作品を見て損はないはずです。

あと、「スタッフクレジットをデザインとして取り入れているOP」って個人的に好きなんですよね(他に「Aチャンネル」「WORKING!!」など)。

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圧倒的「女子中学生感」

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「制服のスカート丈が長いアニメは名作」

他ならぬ僕の言葉です。
ちなみに本作以外だと「スケッチブック」が該当します。
ほとんどのアニメにおいてスカート丈を短くすることを躍起になって競い合っている昨今、この丈の長さは貴重です。
ただ、かみちゅ!ファンには「かみちゅ!萌えアニメとは違う!」と主張する方が多いようですが、僕はあえてこう言いたいです。

かみちゅ!は非常に「あざとい」アニメであると。

かみちゅ!ほど「女子中学生感」を全面に押し出しているアニメはなかなかないと思います。
スカート丈以外にも大変フェティッシュなのがこちら

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ブラウスの下にキャミソール(?)を着てるんですよ…!
いや、女子中学生の制服事情には詳しくないんですが、たぶんこれを着ること自体は普通だとは思うんですよ、女子中学生の制服事情には詳しくないですが。
しかし、凡百の萌えアニメであれば「へそチラ」にするところをあえてキャミソールを見せるとは…。


何?それでもやはり肌を見せないようにしているんだからあざとくない?

それなら最初からブラウスはだけさせる必要ないやろが!

というわけでかみちゅ!はフェチアニメであると断言します。

 

まとめ

せっかくの爽やかな作品を結局やらしい目線で見てしまって非常に申し訳なかったのですが、別にそんなことは全く気にせず心穏やかに見られる作品です。
僕も先ほどこの記事を書くために1話を見て思わずこぼしました。

「いいなァ~。」