【ピヨ子と魔界町の姫さま(渡会けいじ)】異常な思考を受け入れ楽しめ!
渡会けいじ先生の最新作『ピヨ子と魔界町の姫さま』第1巻が、2018年3月24日に発売された。
渡会先生は、以前に当ブログでも紹介させていただいた『O/A』の著者である。
その、あまりにも常軌を逸した内容に衝撃を受け、239日ぶりにブログを更新するに至った。
タイトルからしていわゆる「異世界もの」かとのような印象を受けるが、「異世界感」はかなり薄いと言っていいだろう。
ジャンルとしては「学園日常もの」である本作。一番の見所は、二人のメインキャラピヨ子と姫さまの「常人ではとても思い至らないような異常な思考・言動」だ。
と言っても、快楽殺人者が出てくるようなサイコホラーなどではなく、全編ギャグに振り切っている。
「不条理ギャグ」と呼ばれるものに近いのかもしれないが、基本的に主人公たちが周囲に不条理を撒き散らし続けるというなかなかにヘンテコな作品だ。
第2話のラスト、ホームルームにおいて驚くほど自然な流れで龍造寺さんに密漁の罪をなすりつける展開などは、実に非道いギャグなのだが何故か感心すらしてしまった。
ここから何か展開するのかと思いきやこれがオチになるという投げっぱなし感もまた良い味を出している。
最も「異常さ」を強く感じることができるのは、第4話での生徒会棟の清掃を行う回だろう。
生徒会の備品を徹底的に破棄・破壊し尽くそうとし、それでも余計に散らかってしまうので、最終的に灯油をぶちまけて全て燃やしてしまうという暴挙は、今こうして文章に起こしているだけでも戦々恐々としてくる。
燃やしているときの「ラッセーラー ラッセーラー」という謎の効果音、段々と暗くなっていく画面、瞳のハイライトが消えたピヨ子の表情など、異常を異常で煮しめたような雰囲気が最高に笑えて仕方ないのである。
渡会先生の作品はキャラクターがとにかく可愛いのも魅力の一つである。
一番好きなキャラクターは、上述の第4話で登場した生徒会代表の吊川さんだ。
感情がピーキーな彼女だが、どうやら姫さまの異常な言動によってそれにますます拍車が掛かっているようだ。
ぜんぶお前がやったことだよ!!バァカ!!
のコマは何度読んでも笑いを堪えきれない。
とにかく苦労を強いられる美少女というのはいつの時代もいいものである。
そして第7話のお祭り回では私服で再登場となり大変な眼福であった。
何はともあれ可愛いのである。
たった1ページの登場ながら、姫さまにツッコミを入れ、3人の妹たちには祭りでアレやコレやとねだられ、挙げ句その妹たちによって恥ずかしい秘密を姫さまにバラされるという苦労人っぷりだ。
それが愛しくて仕方がない。
今後ともどんどん酷い目に遭っていただきたいものである。
全て事細かに書くとキリが無いので割愛するが、靴舐めのくだり、ブルボン大気圏突入のくだり、回転寿司で会計押しつけのくだり、ピッチング練習のくだり、「めだか 和尚 消しかた」のくだりなど、異常としか言い様のないギャグが連発される本作。
是非とも読んでいただいて、共に脳みそを侵食されてみてほしい。
「レッツ・ラ・クッキン☆ショータイム」が知能指数を削る8つの理由
現在放送中の『キラキラ☆プリキュアアラモード』だが、折り返しを迎えてED曲も後期のものに代わった。このタイミングでなんだが、今回は前期EDテーマ「レッツ・ラ・クッキン☆ショータイム」について語りたい。
というのも、この曲、聴いていると知能指数をゴリゴリ削られていく感覚に陥るのである。それぞれのポイントに焦点を当てて詳しく解説していこう。
歌い始め
冒頭からかっ飛ばしてくれるのがこの曲のまず凄いところだ。
ドラムの流れるようなフィルインから始まり、イントロはなくすぐにボーカルが入る。その冒頭の歌詞「プリプリプリプリキュア」に合わせてキュアホイップちゃんがおしりをプリプリ振るという振り付けになっている。
フィルインを聴いた瞬間はそのファンキーさに驚き、どんな格好良い曲が続くのかと期待も高まる。そこで次の瞬間に「プリプリプリプリ…」が来るのだから、初めて聴いた人間は間違いなく脳がパニックを起こすだろう。もともと知能指数が100だった人であればこの奇襲攻撃で一気に70ぐらいまで削られるはずだ。
この一瞬で「ヤバい曲だ」ということには気付き視聴者は身構えるが、そんなことはお構いなし。この後も容赦なく視聴者の知能指数に襲いかかってくる。
Aメロのギター
聞き取りにくい方は、カラオケver.を聴くなりイヤホンで聴くなりしていただきたい。右のスピーカーに注目して聴けばわかりやすいと思うが、終始テロテロチャラチャラとしたファンキーなギターの音が鳴り続けている*1。
音楽的にはもちろん格好良いギターではあるのだが、どうにも脳みそをくすぐられているような感覚になる音だ。全体のメロディーからは独立しているからかもしれない。
Bメロのメロディーライン
それまでのとにかく明るく楽しくファンキーな雰囲気から一転し、やや哀愁を帯びたメロディーになる。Bメロから入るストリングスがさらにその効果を高めている。
このパート自体は知能指数を削ってくるわけではなく、ここで曲調をグッと抑えることで次のパートの威力が劇的に増大する。いわゆる「緩急」というヤツだ。
サビの2フレーズ目の音程
サビの頭の歌詞「生クリーム 生チョコ 生たまご」の「生チョコ」の部分の音程に注目していただきたい。コードやそれに合わせた旋律など音楽的に細かいことはわからないが、この部分は本来であればもう少し低い音程のほうが自然にスッキリ収まるように思える。初めて聴いたときは多くの人が予想よりも高い音程が来たことに面食らったのではないだろうか。
もちろんこれは作曲者の狙いであることは間違いないだろう。宮本佳那子氏のキンキンに響く声が脳みそに心地よい。
「頑張れる」キュアショコラ
1番サビ後半の「「大好き」が集まれば 苦手でも 頑張れるから」の「頑張れるから」の部分、今回はアニメーションについてである。
両拳を「グッグッ」とやる振り付けだが、キュアジェラートが満面の笑みで踊っているのに対し、キュアショコラの真顔がなんともシュールだ。キャラ的にあまり満面の笑みで踊るような性格でないにしても、この対比はどうしても気になってしまうし、凄くいい意味でゾクゾクくる一瞬だ。
パンナコッタ、そして…
2番のBメロ後半、ここはとにかく歌詞の勢いが凄まじい。
(パンナコッタ!)これってババロア? まさかプリン?
(なんてこった!)勉強から始めよう
まず「パンナコッタ」という単語の響きの気持ちよさからして強い。そのあと「ババロア」「プリン」とこれまた響きの良いお菓子の名称が続く。
そして「まさかプリン?」に入るとき、「まさ」の部分でリズムが食っており*2、この「食い」が妙なノリのよさを生み出している。
そして「パンナコッタ」という単語が出たからには「なんてこった」と言わずにいられないのが日本人の性だ。全ての視聴者が「パンナコッタ」が来た時点で次に「なんてこった」が来るとわかりきっているだろう。「いや、でもそんな安直なことするか…?まさか…」などと考えているうちに本当に「なんてこった」が来てしまったときの感覚は頭から大事なモノがダバダバとこぼれていくような感じだ。
/(^o^)\
酸いも甘いも…
2番サビは「酸いも甘いも」という歌い出しになっており、少し渋いというか古くさい歌詞になってくるのかと思ったら、この曲に限ってまさかそんなはずはない。次の瞬間には「デカ盛りの 全部のせで行きましょう」と来るのだから、作詞家の方のその発想の出所が不思議でたまらない。
Cメロラストのキメ
Cメロのラスト「さぁどうぞめしあがれ♡」の部分はこの曲最大のキメフレーズである。全楽器がユニゾンをかましてガッチリきめているが、この「さぁどうぞめしあがれ」という歌詞はこの曲の中で最も普通なフレーズではなかろうか。この妙なギャップは狙ってのことだろうか…。
しかし、キメの直後に入る「パァン!」と入るチャイナシンバル(?)の音が全てを洗い流してくれるので何の問題もない。
まとめ
「レッツ・ラ・クッキン☆ショータイム」がいかに知能指数を削る恐ろしい曲であるかご理解いただけただろうか。私はその恐ろしさをより多くの人に知らしめるため、今日も今日とてこの1曲をエンドレスリピートで通勤時間を過ごすのであった。
何故『天使の3P!』は見ていて腹が立つのか?
ここ最近、新作アニメをあまり見ていない日々が続いた。
毎クールこれだけ多くのアニメが放送されているこの幸せなご時世にこんなことでは勿体ないと思い、とりあえず何か1本でもと見始めたのが『天使の3P!』(以下『3P』)である。
何故このアニメを選んだかと言えば、当方軽度のロリコンのため、ヒロインがロリならとりあえず見ようじゃないかという形で、まあ必然といえば必然だろうか。
しかし、原作をろくに調べずに視聴を始めたのがよろしくなかった。
公式サイトにもデカデカと書いてあるが、この作品、原作が『ロウきゅーぶ!』と同じ作者なのである。
それの何がよろしくないかというのは、以前アニメ版『ロウきゅーぶ!』に関して書いたエントリを読んでいただければ、おおよそ理解していただけると思う。
ともかく『ロウきゅーぶ!』が見るに堪えなかったので、同じ作者と気付いた時点で『3P』も見るのをやめればいいのではないかというのは至極もっともな話だ。
しかし、せっかくなので今回はしっかり見てボロクソに批判してやろうと思い、視聴を継続することにした。現在、第1話を見終えての率直な意見を述べていきたい。
主人公が引きこもり
この程度のことに目くじらを立てていては話が進まないかもしれないが、今回は妥協せず徹底的に批判していこう。
端的に言って「安直」である。
原作はライトノベル(電撃文庫)ということで、中高生を主なターゲットとしているのだろう。
アニメが"オタクだけのもの"でなくなって久しいが、それでも心のどこかで「俺アニメ見てるとかチョーオタクじゃんwwリア充氏ねwww」という感情を持っているであろう(あるいは実際にネクラなオタクな)視聴者層には実に共感を得やすい主人公と言えるだろう。
だからといって、恥も外聞もなく安直に引きこもりを主人公に据えるのは如何なものだろうか。「需要があるから」と言ってしまえばそれまでだが、「需要があるものを提供すること」がはたして創作活動と呼べるのだろうか…。
これらを全て分かった上でやっているのであれば「プライドないのかよ」と言いたくなるし、これが本当に最高のものだと信じてやっているのであれば、それは程度が知れているとしか言い様がない。まあ、前者ではあると思うが…(むしろ前者であってほしい)。
桜花のキャラクター
桜花の初登場シーンは「響が欠席していることをネタにしてウケを取っている男子を冷めた目でいさめる」というシチュエーションだった。
桜花がクラスでどういう立ち位置で、響にどういう感情を抱いているか(少なくとも悪くは思っていないようだ)が端的にわかるシーンではあるが、そんなものを吹き飛ばしてしまうほどに薄ら寒いシーンと言わざるを得ない。
何が薄ら寒いかと言えば、作者の意図があまりにもバレバレなところである。
それは、
「こういうとき、委員長的なキャラが『ちょっと男子ぃ~!』って言うのはよくあるけど、この子はそうじゃありませんよ。正義感はあるけどそれを露骨に出さず『そーゆーの面白いと思ってんだ』って冷めた感じで男子を黙らせる凄い子なんですよ!(しかも響のことが好き!)」
といったところだろうか(作者様、違ったら大変申し訳ない)。
別にそのようなキャラ自体が良くないと言っているわけではなく、これを凡百の視聴者である私などにも簡単に見抜かれて「薄ら寒さ」を感じさせてしまっているというのが非常に情けないのである。
その後の女子トイレでの「そこ空けてもらっていいかな?」のシーンも同様である。
「女子2人は響の噂話をしてるけど桜花はそこにつっかかるほどガキじゃなくて、ただ手洗い場を空けてほしいと言って2人を黙らせるのクールな女の子なんですよ!(しかも響のことが好き!)」
といったところか。
希美のキャラクター
わかりやすいツンデレである。「ツンデレ」の語義も多岐にわたっているが、2017年現在、一般的に最も普及しているであろう「強気だけど純真」的な意味合いの「ツンデレ」である。
「ツンデレキャラ」と「テンプレツンデレキャラ」は別物になって久しいが、希美は後者だ。そして、もはや前者より後者の方が多いだろうというぐらいに、後者は萌え業界に蔓延っている。
こんなに巷間にありふれたキャラクターを今更登場させて果たして何の意味があるのだろうか。もちろん、こういうキャラを出せば、一定数の人間に受け入れられるというのは分かるし、「ハイハイテンプレwww」と言いながら喜ぶ人間もこれまた一定数いるだろう。
だからといって普通そんなキャラをそのまま出すか…?あとは「主人公が引きこもり」の項で書いたこととほぼ同様の批判になるので割愛する。
このシーン
……。
キャラと背景をこの位置で重ねることで何がやりたいかは分かる。
分かる…が。
何故やった。
そして横からスッと入ってくる2人。
学芸会でも見ているかのような気分だ。
小学生だから学芸会でも間違ってないのではないかとも思いかけたが、コンテマンは小学生ではない。作り手は大人なのだから、大人らしい画面構成をしていただきたい。
ライブシーン
私はじめてだから…ジュポ!ジュルルル的なのに似てる
— むーん (@bluemoon445) 2017年7月17日
Twitterで拝見したこの一言に尽きるのではなかろうか。
ここに関しては単純にクリエイターだけの問題ではなく、曲が絡むことでいわゆる「大人の事情」が出てくるのもやむなしなので、頭ごなしに批判はできない。
しかし思い出してほしい。
かの大ヒットアニメ「けいおん!」での最初の演奏シーンである『翼をください』を。
「初心者っぽさ」をしっかりと出しつつ、それでもなお、いやそれがあるからこその「アンニュイさ」「青春感」があのシーンには溢れていた。
曲のジャンルも違うのでそのまま見習え模倣しろとは言わないが、「アニメ」という制約の中でもあれだけのことができるということは知っておいていただきたい。
アニメーションに関しても少々口を出したい。
モーションキャプチャに関しては特に言うことはないし、当然であるが動きがきっちり再現されている。
最も気になるのがそらのドラム演奏の動きである。そらの無表情も相まって、あの動きはもはやギャグにしか見えない。体が微妙に揺れているのがとてつもなくシュールだ。
恐らくライブシーンはこの1回ではないのだろうから、ライブに割く労力も配分を考えないといけないのであろうが、せっかくの初お披露目なのでもっと良い物が見たかったというのが正直なところだ。
…と、よくもまあここまで批判的なことが書けたものだと自分でも若干驚いている。
とりあえず視聴は続けていく予定なので、最終話で私に見事な手のひら返しをさせてくれる作品になることを願うばかりだ。
無理だろうなぁ……。
【キラキラ☆プリキュアアラモード 第23話】キュアパルフェの腋がエロい!!
全く謝ろうとしないジュリオに笑顔で怒っているゆかりさん素敵!!
今までこういうプリキュアというのはいなかっただろう。こういったちょっとしたネタシーンでもやはり特別感があるのがさすがのゆかりさんである。
ピカリオがあおいの胸に抱きかかえられている。なんだか物凄くイケナイものを見ている気分だ。
ノワールが現れた際、あきらさんはサッと前に出て他のメンバーをかばう。プリキュアになってだいぶ時間が経ったといえども、中学生組はあくまで可愛い後輩なのだろう。男前である。
キラリンの心の闇の中にて、ジュリオはシエルが夢を捨てることに対して憤りを露わにする。シエルに対してはもっと意地を張り続けるというか、憎しみに近い感情を出し続けると思ったが、どうやら溢れる愛が抑えられないようだ。
闇の底へと落ちていくとき、ジュリオはホイップにあっさりお姫様抱っこされる。落ち着いて振る舞っているように見せかけて絶対こいつ勃起してるな。俺だったらする。
ジュリオが初めて「誰か(キラリン)のために」スイーツを作ることでそのスイーツにキラキラルが宿る。「スイーツ」がテーマである本作だが、「大好きな誰かのために作ること」が、スタッフのもっとも伝えたいことなのだろう。嫌みやわざとらしさなく、それがしっかりと伝わってくるいいシーンだ。
そしてついにキュアパルフェ変身のとき。
ジュリオがノワールからの攻撃をかばって矢に刺される。それを受けての変身シーンとなれば熱くならないはずがない。
いよいよお目見えのキュアパルフェのコスチュームだが、平たく言えば腋がエロい。
キュアパルフェはビブリーに対して圧倒的な強さを見せつける。
満を持しての必殺技だが、このアニメーションがとにかく動く動く。「めまぐるしい」という表現はまさにこれのための言葉ではなかろうか。EDで原画のクレジットに板岡錦氏の名前があったが、やはりこのバンクだろうか。
そして本日からEDが後期のものに変わった。相変わらず聞いているといい意味で知能指数がダダ下がりしそうな曲である。あー、パルフェの腋がエロい…。
【ウルトラマンジード 第2話】今回も戦いに趣くシーンが熱い!!
劇中のニュースで、突如現れた巨大生物を「怪獣」呼称することが決まったと報道される。今までのウルトラシリーズでは当然のように使われていた「怪獣」というワードに対する新しいアプローチと言えるだろう。
『シン・ゴジラ』で「怪獣」というワードが一切使われなかったのを彷彿とさせる演出でもある。
1話でのエリちゃんのアイスの件について、全然触れられないまま1話が終わってしまったと思っていたが、なるほど、この発火現象に繋がっていたのか。伏線というほどのものでもないが、話数間でこういったちょっとした繋がりがあると、見る側としても情報を見落とさないようにしっかり集中して見ようと心がけられるというものだ。
この第2話からライハが本格的に参戦した。
ダダとのチャンバラアクションだが、これが非常に本格的。この女優さん何者だと思って調べて見たところ、世界ジュニア武術選手権大会で金メダルお獲るほどの本格派のアクション女優であるとのことだ。
今までのウルトラシリーズではドラマパートのアクションは正直あまり期待していなかったが、これは大いに楽しませてくれるだろう。
ライハとの会話でエリちゃんが「リトルスター」と呼ばれるものの持ち主と判明。それが件の発火現象を起こしていたようだ。ということはエリちゃんがかなりの重要人物か?個人的にはエリちゃんをヒロインにしていただけると大変嬉しいのだが、いかがだろうか(最終的にリトルスターはエリちゃんの元を去り、エリちゃんは重要キャラからは外れた模様。残念…)。
再び怪獣が登場して、人々は逃げ惑う。1話のときからそうだったが、怪獣を「災害」と認識して被災・避難を強調しているのが今作では非常に特徴的だ。先述の「怪獣」の呼称の件も含め「シン・ゴジラ」の影響が全く無いとは言えないだろう。
そして今回の一番の熱いシーン。
リクは怪獣から逃げようとするが、その足が止まる。
「やめろよペガ、足を掴むのは」
「何もしてないよ、ペガは」
「じゃあ、どうして足が動かなくなったんだ」
「それは、キミの意志だ」
「ボクの…?」
「キミはベリアルの子ども。でも…キミはキミだ!」
「キミはキミだ!」というセリフなんて言ってしまえばありきたりなものではある。
しかし、2話冒頭の「ベリアルと姿を重ねて怯えられるのが嫌だからフュージョンライズしない」という展開をしっかりと受けてのこのシーンなので、そのセリフに説得力があるのだと思う。音楽の盛り上がり方も絶妙で、見ている側のテンションをグングン上げてくれる。
1話、2話と、戦いに向かう決意をするシーンが非常に熱い話が続いている。
ウルトラシリーズにおいて、特撮パートが盛り上がるのは当然だが、ドラマパートが、しかもこれだけ序盤においてのそれがこれだけ熱くなれるのはなかなか無いのではなかろうか。
だからといって特撮パートがショボいということは全くない。
最近再放送で見ているティガ、ダイナと比較してしまっているのも少しあるだろうが、カメラワークやミニチュアセットの構図、そして何より光線類のCGの格好良さは圧倒的である。
手に汗握る戦闘とはまさにこのことだ。
ドラマパート、特撮パートともに大充実の『ウルトラマンジード』。
早くも第3話が待ち遠しくて仕方がない。
【チアフルーツ 第2話】安直な百合がいいという駄目なオタクになってしまった。
前回も書いたが、安易な言動が目立つ。
黒酒路子が御前のほっぺに冷たい缶ジュースを当てるシーンだが、この必要性を全く感じない。これが何かの伏線になっているなら話は別だが、面白いわけでもなく、特別に可愛く見えるわけでもなく、ただ「こういうことやったら視聴者は喜びそう」という意図が透けて見える。
尺が余ってしょうがないというのであれば、そもそもの構成の問題である。
路子の部屋の電車の模型がいきなりロボットに変身してしゃべり出すシーンは、多くの人が気になったであろう。
この作品の世界観がまだつかめてないのでイマイチわからないのだが、アレは路子の妄想の中の映像なのか、それとも"ああいうもの"が普通に存在する世界観なのか。
緑川末那の実家のお寺の本堂を使って練習…かと思いきやしっかりとショバ代を取る緑川さん。
これには正直若干引いたが、この作品はごく普通に明るい雰囲気を出しながらも全体的にかなり切羽詰まってる感はあるように思う。その空気を感じることができるという意味ではこの言動もいいのかもしれないが、やはりちょっと引くことには変わりない。
そしてこのとき手渡していたのが聖徳太子の千円札というのも気になるポイント。
聖徳太子の次の伊藤博文の千円札が発行され始めたのが1963年なので、時代設計は60年代ぐらいかとも思ったが、それ以外は普通に現代なので、単なるお遊びだろう。
お遊びにしてもやることが安直な気が…。
まあこんな風にブログで取り上げた時点でこちら側の負けな気もするが。
ところで路子の御前に対する呼び方が「御前」のときと「キャプテン」のときがあるのは何か意味があるのだろうか。
部活のときは「キャプテン」であればそれはわかるのだが、今のところ呼び方の違いに規則性が見られない。私の観察力がなさ過ぎるだけなのか…?
杏の御前に対する「キャップ」呼びは『ウルトラマン』の「ムラマツキャップ」を意識したものだろう。
ウルトラシリーズのファンとしては嬉しくないわけではないが、これもやはり安直な…いや、この作品でこれ以上「安直」について触れるのはよそう。それだけで文面が埋まってしまう。
この第2話は路子をメインキャラに据えた話になっており、序盤から路子の「メンドクサイ女」感が良くも悪くも出まくりな展開だったが、最終盤の御前のジゴロっぷりには正直かなりグッときた。
昨今の百合の氾濫のせいでやや食わず嫌いになっていたところもあったが、この数十秒のシーンで「百合っていい…」とあっさり陥落されてしまった。意志薄弱である。
それまで路子の好意に全く気付かないような素振りだったのが余計にインパクトを与えたのだろうか。路子の「ズルすぎる…」というセリフも至極もっともである。
ショーは最終的に、却下されたと思われた「カジュダイオー」で行われていた。
わかりやすく「カミダイオー」のパロディ作品としてスタートさせたようだ。
特撮パロディ満載の作品で劇中劇のパロディをやるというなかなか複雑な展開になってきた。
次回からは紫村果音(恐らくレズ)が本格参戦してくるようだ。
先ほどの御前のジゴロシーンで、百合作品としての本作には大いに期待できるようになったので、次回も楽しみである。
【ウルトラマンジード 第1話】静かな熱さ。幼き姿に秘められたその闘志!
ウルトラマンの新シリーズ『ウルトラマンジード』の放送が始まった。
前回の『ウルトラマンオーブ』が熱さ・重さ・面白さを兼ね備えた名作だったので今回も期待して見始めることとする。
今回はその第1話の感想・考察を書いていく。
冒頭、銀河マーケットにやってきた女の子エリちゃんが主人公の朝倉リクと仲よさげにしているのを見て「お?今回のヒロインはロリか?」と少し期待してしまったが、さすがにそんなことはなかった。
期待させるだけさせておいてあっさり裏切るのは罪といえるだろう。
ところで今回は主人公もやたらに若い。
平成ウルトラシリーズには明るくないのでなんとも言えないが、歴代最年少だったりするのだろうか。
基本的に「ウルトラマンに変身するのは大人」という印象があったので、これは非常に新鮮である。
リクはペガと喋りながら楽しそうに特撮ヒーロー番組を見ている。
これが巨大ヒーローではなく仮面ライダー風の番組なのがまたなんとも言えない味わいを出している。
そしてさらに「ウルトラマンってホントにいるのかな?」と聞くリクに対して「そんなの都市伝説だよ」とペガが一蹴するのもまたシュール。
あんたそのナリで何を言ってんの…。
お父さん向けのサービスなのか、駄菓子屋さんであったり、野宿のときに使っているラジオであったり、出てくるモノが妙にレトロである。
特にラジオはノイズの入り方にまでこだわっており、その徹底ぶりがうかがえる。
さて、リクという少年についてだが、第1話を見る限りではとにかくまっすぐないかにも主人公らしい主人公という印象を受ける。
自分がウルトラマンになれると知る前の時点で、自分に力があれば怪獣を止められると悔しがるほどの真っ直ぐっぷりだ。
その真っ直ぐなリクを象徴していたのがレムとの以下のやりとりだ。
「例えばさ、本来の姿に戻ったとして、ピアノを持ち上げたり…できる?」
「可能です」
「ダンプカーは?」
「可能です」
「じゃあ…怪獣は?」
「可能です」
これは熱い。
BGMも暗めで非常に静かなシーンだが、リクのその幼い姿に秘められた闘志をひしひしと感じることができる。
ウルトラマンジードとなって戦うリクだが、特に力が暴走している様子は見られない。
というのも、前作『オーブ』ではベリアルの力を使った際には暴走してしまっていたといのがあるのだが、今回は実の息子ということで暴走しないのだろうか。
今後そのあたりについて明かされていくか見所であろう。
怪獣を倒し、自分がベリアルの息子だということを知らされたところで第1話は終了。
真っ直ぐなリクはこの事実をどう受け止め、受け入れ、乗り越えていくのだろうか。
今後の熱い熱い展開に期待できる第1話であった。