Do you see the GIRL

元・アニメ制作進行の自分が、アニメを見ての感想だったり、映画を見ての考察だったり、エロゲをやって勃ったことだったりを書いていくブログです。

【おジャ魔女どれみドッカ~ン!第40話】また会うということ

ショックを受けた。

つくねはあまりにも。

(comicLO 2014年6月号表紙より引用、改変)

 

 

女児アニメを評した文章で「大人でも楽しめる」「とても子供向けアニメとは思えない」という書き方をされているのを見ると「この人本当に褒めてるのか…?」と思ってしまうアナルケツの穴の小さい私だが、このおジャ魔女どれみドッカ~ン!第40話「どれみと魔女をやめた魔女」(以下「40話」)を一言で表すのは困難を極める。

ひとまず「ショックを受けた」ことは間違いないので、冒頭ではLOのコピーを引用させていただいたが、上手く言い表せられないところをそれっぽい言葉を借りて逃げただけである。

我ながら少々情けない。

 

アバンに見る「40話」との理想の出会い方

そんな自分の文章の書き出しの反省はほどほどにして、本編の話をしよう。

 

まず、前話に付いていた次回予告の時点で明らかにいつもと違う雰囲気を醸し出していた。

「ちょっと切ない感じの話がくるのかな」程度には思ったものの、それ以上に身構えることはなかった。

 

そして本編、アバン*1でのどれみのモノローグがこちらである。

ふしぎな人に会いました。

あの人の言ったこと、あたしも、いつかわかるときが、くるのかなぁ。

 「40話」の衝撃をまだわかっていない自分は初見では普通に聞き流してしまったが、2周目で改めて聞くと、自分の心への響き方が全く違う。

というのも、自分が「40話」を見終えて熱い風呂に入りながらしみじみと思い返してみたときに「子供の頃に見たかった…」という結論に至ったためである。

「40話」は(いつものドタバタコメディを楽しみにしている)子供達にとっては少しつまらない内容だったかもしれない。

「40話」を見て「いいはなしだな~。このお話だいすき!」って言ってる子供がいたらむしろ少し不気味なぐらいだ。

ただ、異質な話であることは間違いないので、良くも悪くも子供にとって印象に残る話ではあるだろう。

何となく「変な話だったな…」程度の感覚で大人になっていき、いつしかその記憶すらも忘れてしまう。

そして今回のような再放送で、懐かしさでおジャ魔女どれみドッカ~ン!を見始めて、この「40話」の衝撃を受ける。

そんな出会い方だったら最高だったろうとつくづく思う。

 

脚本の大和屋暁氏がそんなことを想定してこのセリフを書いたかは全く知らないが(むしろ違う可能性の方が高い気がするが)、私はついそんなことを考えてしまった。

 

「例の五叉路」のインパク

「40話」で何度も登場する五叉路、これがとにかく変な形である。

妙な奥行きのある構図で、遠近感もおかしくなってしまいそうだ。

奥に伸びる2本の道が途中で曲がっていてその先が見えないのもまた不気味さを感じさせる。

パッと見では下校中の小学生が通る静かな住宅街といった感じでどちらかと言えば優しく穏やかな印象すら受けるが、見れば見るほど不安になる。

 

この「不気味さ」と「穏やかさ」の同居というのは、芦奈野ひとし先生の「コトノバドライブ」という漫画でも見ることができる(というか、それを主軸にした漫画と言える)。

「40話」の雰囲気が好きだった人にはたまらない作品だと思うので、是非ご一読あれ。

 

閑話休題

 

はづきやあいこと別れたどれみが寄り道していろんな場所を歩いて行くシーン。

猫避けのペットボトルに始まり、金魚鉢、床屋の三色ポールの上のガラス玉、米屋の扉のガラス、と次々にガラス(っぽいもの)とそれに映り込むどれみが描かれていく。

「40話」がガラスをテーマにした話なので、ある意味露骨な演出とも言えなくもないが、挿入歌の優しさやガラスの処理の美しさも相まって、テンポ良く、嫌みなく表現されている。

 

そしてまた不安をかき立てるのが未来との出会いのシーン。

どれみが楽しそうに歩いていると、突然ガチャンと大きな音がする。

どれみの動きが止まり、挿入歌もピタッと止まり、静寂が画面を支配する。

ゆっくりゆっくりと振り返るどれみ。

不安だ。とにかく不安である。それまで穏やかで楽しそうに歩くどれみの姿を映していただけに、その落差に一層ドキドキさせられる。

不安を感じるシーンの多い「40話」の中でも、最も不安になるシーンではなかろうか。

 

アニメーション・映像処理もろもろ

アニメーションとして凄く気になったのがこのカット。

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一瞬の動きで、ド派手なアクションというわけでもないが、吹き竿の回転が何故だかとても気持ちいい。

どれみが惚れ惚れするのもうなずける。

そしてこれは私が何度も繰り返しこのカットを見ているせいかもしれないが、吹き竿を回す音、左手で吹き竿を掴んだときの音も、不思議と心にスッと染み入ってくるようだ。

 

そしてさらにこのカット。

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「ビー玉を太陽に透かす」というシンプルなようでその実非常に処理が難しいカットだと思われるが、ビー玉をズラしたときの明暗の付け方や光りのスジの動き方など、正にこれ以外にない処理と言えるだろう。

ハナちゃんの声やコミカルな効果音でギャグっぽくも見えるカットだが、その処理は渾身だ。

 

細田守氏は同ポ*2を多様することで有名だそうだが(Wikipediaで知った)、「40話」でも確かに同ポは多い。

その中でも印象的なのがこのカットだ。

(はづき、あいこと別れて、初めて右の道に進もうとするカット)

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(ハナちゃんが行けないことになり、再び一人で未来の工房に向かうカット)

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ビー玉が画面中央に大きく配置されそこに映り込みもあるので、前のカットと印象が大きく違うのは当然と言えば当然だが、同じ背景で同じカメラワークにも関わらず、後のカットではカメラが右に向かうほどどれみのワクワクした感情が高まってくるのがグイグイ伝わってくる。

ビー玉への映り込み方も非常に美しい。

 

鏡台の謎

「最も不安になるシーン」は先ほど挙げたが、次は「最も不安になるファクター」について。

未来が「宝箱」と呼ぶ鏡台だ。

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どれみはこれを見て素直に「うわぁ、凄いなぁ」といった感じで感心しているが、私にはこの光景は少し不気味に見えた。

ジブリ作品の都市伝説などでよく見られる「本当は怖い××!!」みたいなのは私は大嫌いなので、このような言い方をするのはあまり気が進まないのだが、それでもこれは異様に思える。

そしてさらに気になるのが、どれみが喋っているのにも関わらず、口が全く動いていないという点。考えられる可能性は以下の3つ。

  1. 単純なミス。
  2. 動かしたかったが、鏡に映っている上にボカシも入っているので、何らかの理由で動かせなかった。
  3. 演出指示。

1はまずあり得ないだろう。ここまで露骨であればチェックで誰かが真っ先に気付くだろうし、東アニ作品でここまでのミスは見たことがない。

2もないだろう。16年前とは言え、この程度の条件で口パク一つ動かせないとはとても思えない。

わざわざ1.2を上げる必要があったかも怪しいが、これは演出意図と見て間違いないだろう。

 

ではどのような意図なのか。

この鏡台の中は、写真に収めることによって止まった時を表しているのではないか。

未来の言い方からすると、彼女は様々な国で一度会った人のところに決して再びは訪れていないだろう。

とすると、未来の中でも、出会った人々の中でも、出会ったそのとききりでお互いの時間が止まっていると言えるのではないか。

考えすぎかも知れない上に実に安直な考えで恐縮だが、ついついそんなことに思いを巡らせてしまう。

 

「あの人の言ったこと」

 未来は、ヴェネツィアで過去に好きになった人に、未来のことを未来の娘だと思ってこっちに勉強しに来ないかと誘われていることをどれみに話す。

「魔女には、こんな生き方もあるのよ。わかる?」

「……わかんない」

 アバンでの「あの人の言ったこと、あたしも、いつかわかるときが、くるのかなぁ。」というモノローグはこの言葉にかかっているのではなかろうか。

もちろん、この一言"だけ"ではなく、未来の様々な言葉がどれみの胸には残っているだろうが、一つ挙げるとすればこれだろう。

 

「またどこかで、会いましょう」

どれみが未来の工房に駆けつけるが、既に未来は発ってしまった後で「ごめんね。またどこかで、会いましょう」との書き置きがある。

何気ない別れの挨拶のようにも思えるが、普段であれば一度会った人には二度と会わないようにしている未来が「また会いましょう」というのは今までになかったことではないかと予想できる。

同じ魔女であり、不器用ながらもガラス細工に一生懸命などれみの姿に心打たれるものがあって、このような書き方をし、心の底から「また会いたい」と思っているのであろう。

その思いがこのたった一言の置き手紙にも詰まっていたのであろう、夕暮れの帰り道を歩くどれみは「また会いましょう、かぁ……」と噛みしめるように呟き、勢いよく走り出す。

ピアノの穏やかな旋律も重なり、最後の最後まで心を揺さぶられ続ける。

 

まとめ

1つ1つのカットに意味が込められており、無駄なカットが1つもない話数だった。

かといって過剰に情報が詰め込まれているわけでなく、不安を煽るシーンは多いはずなのに、どこか心落ち着けて見ることができた。

どれみの将来、魔女としての在り方など、ストーリー的にも非常に重要な話であることは間違いないであろうが、それよりも、この話数の雰囲気や心地よさを目一杯感じることが一番の醍醐味だろう。

原田知世氏の演技も大変素晴らしかった。

*1:OPに入る前の短いシーン

*2:同ポジション。背景が同じでセルだけ違うものを使用するカット。セルが同じ場合もある。兼用カットとも