【薄花少女(三浦靖冬)】静けさ故のいかがわしさ
ロリ⊃ロリババア
私の中での「ロリババア」の認識は上記のようなものであるし、世間的にも大きなズレはないと思う。そもそも世間がロリババアに対する認識をきちんと考えたことがあるかは疑問であるが。
私はロリが好きで、その中に含まれるという意味合いでロリババアも好きである。
ババア要素は有って嫌なものではないし、無くて困るものでもない。
そう考えていた。この作品を読むまでは――
「薄花少女」という作品をロリババアという俗っぽい言葉で表現するのが正しいかどうかは非常に怪しいところだが、本作をご存じない方に分かりやすく説明するならば、その一言であろう。
2016年12月19日に第4集が発売された本作について、思ったところ等を述べていきたい。
ハッカがとにかく可愛い
これで伝えるべきはほとんどと言えなくもないが、それだとこのブログに書く意味もなくなってしまうし、まだまだ本作の魅力はたくさんあるので、もう少し書いてみよう。
本作の一番の特徴は、どこか懐かしさを感じさせるその作風だろう。
これは絵柄・舞台・キャラクター全てに共通して言えることだ。
(ロリとノスタルジーの関係については前回詳しく書いたのでそちらも参考にしていただきたい)
絵柄は、目が大きくてキラッキラの今どきのものとはほど遠い。
特にメインヒロインであるハッカは、やたらに首が細く、髪の毛の生え方などもお子様そのもので、その"子供感"がえも言われぬいかがわしさを醸し出している。
「アバラの浮いてないロリはロリに非ず」とは他ならぬ私の言だが、一見すると不健康に見えかねないほどの細さこそがロリに求められているものだろう。
また、主な舞台となる主人公の家もやや不思議である。
主人公の史(ふみ)は、塾講師を務める青年だ。恐らく二十代半ばの独身男性だが、古めかしい平屋に住んでいる。
時代設定がいくらか昔なのかとも思ったが、作中にタブレットが出てくるのでやはり現代ではあるようだ(そもそも多少昔でも若い独身男性が一戸建てには住まないだろう)。
リアリティを求めるのであれば一人暮らし向けのアパートに住むのが普通だが、ここで必要なのはリアリティではない。作中の設定に合わせるでなく「その方が雰囲気が出るから」平屋に住んでいるのだ。
私は常々、フィクションにはこれぐらい割り切っていてもらいたいと思っている。
「静」の描きㅤ方
さて、ここからは今回発売された第4集から1話取り上げて話を進めよう。
第十九話「はじまりの日に」。季節的にもぴったりなお正月のエピソードだ。
いわゆる「日常モノ」である本作において、特に異色なわけでもない「いつもどおり」の話数である。
第4集で特に増えてきたように思える「話数終盤でのハッカの少しドキッとさせられるような仕草」ももちろん素晴らしい話数だが、一番の見所は何と言ってもラスト2ページだろう。
「ふりますね。」
「うん。」
「しずかですね。」
「うん」
たったこれだけの会話、そしてセリフ無しで家の遠景だけを映す一コマ。
序盤で、いつもとは少し違う正月のやや慌ただしくもある朝の雰囲気を描写しておき、一転していつもより一層静かな夜を描くこの落差に、心をグッと引き寄せられた。
やはり「日常モノ」において大事なのは「静」の描き方だと実感できるエピソードであった。
終わりに
ロリババア人気が沸騰してきた(?)昨今、その「落ち着き」「柔らかさ」そしてそれ故の圧倒的な「いかがわしさ」で他の作品と一線を画している「薄花少女」。
幼い少女好き諸兄には是非とも読んでいただきたい作品である。