【狼と香辛料 第19巻】10年間そのものを象徴する傑作中編
2017年5月10日、ライトノベル『狼と香辛料』第19巻(以下「本作」)が発売された。
今回は本作についての感想・考察を述べていきたい。
尚、今回は『狼と香辛料』への溢れんばかりの愛ゆえに、かなり恥ずかしいことも書いてあるが、今回限りのこと、彼らの惚気っぷりに当てられていると思ってご勘弁願いたい。
巻頭イラストの存在感
ライトノベルというものは巻頭に本文の一部抜粋とカラーイラストが掲載されていることが多いのだが、『狼と香辛料』もその形態を持つ作品の一つである。
本作を読み始めて30秒、この巻頭のカラーページを見終えただけで、なんとも言いようのない満足感と心地よさが胸を満たした。
文倉十氏の美麗なホロのイラストがそうさせたのか。
支倉凍砂氏の甘々でありつつも知性を感じさせる文章がそうさせたのか。
もちろんそのどちらもあるだろうが、それに加えて大きいのは、10年という時と、その間読者を飽きさせることのなかった素晴らしい本編の内容によって培われた信頼と安心感だろう。
16巻までの本編は「波瀾万丈+甘々」、17巻以降の番外編・後日譚はひたすらに甘々な物語を届けてくれた『狼と香辛料』だが、19巻は表紙からして甘ったるい香りが滲み出ているようだ。
そして件のイラストは、ラベンダー畑に寝ころぶホロ、羊飼いの杖を持ち笑顔を見せるホロ、ロレンスの背中に体を寄せるホロ、の3枚。
どれも素晴らしいイラストだが、1枚目のラベンダー畑のイラストが白眉だ。
寝ころんでいる故に少し乱れた亜麻色の髪、その髪の流れに続くように生えている同じく亜麻色の尻尾、ラベンダーの紫のアクセント。
そしてホロの優しく慈しむような表情と、その下に伸びる喉元と鎖骨のラインが大変美しい。
まさに完璧な一枚絵と言えるのではないだろうか。
是非とも大きなサイズで見てみたいのだが、『狼と香辛料』の画集は17巻の完結時に既に出てしまっているのが実に惜しい。
『羊皮紙』と合わせて素材が溜まったところで画集第2弾の発売を強く希望する。
『狼と香辛料の記憶』
さて、巻頭イラストの話だけで文字数がやや増えてしまったが、そろそろ本編の話に移ろう。
本作は3つの短編と1つの中編で構成されている。
その中でも最後に掲載されていた中編『狼と香辛料の記憶』(以下『記憶』)に焦点を当てて話を進めていこう。
『記憶』の主題
『記憶』は、シリーズで何度も書かれてきた「不老長寿であるホロと、普通の人間であるロレンスが共に歩んでいくことへの不安・葛藤」という点を主題に、ホロ視点で物語が進行していく。
コルとミューリがいなくなった湯屋で幸せだが変わり映えのない日常を送っているホロが、遠い未来ではこの幸せな時間のことも何一つ思い出せなくなってしまうのではないか、という不安に駆られる。
『狼と香辛料』に限らず今まで多くの作品で語られてきた「不老長寿キャラの不安」だが、「自分だけが取り残される不安」は書かれても、「愛する人との記憶が薄れてしまう不安」というのはなかなか書かれてこなかったのではないだろうか。
特に『記憶』ではホロ視点のためにその不安が痛いほどに伝わってくる。
当然私は不老長寿ではないので共感できるはずなどないのだが、何故だか納得させられるというか、不老長寿の狼はこういった不安を持つのかと素直に受け入れることができる。
「幸せに身を任せておったら、大事な日々がすべて記憶の中で溶けてしまう……。賢狼といえど、なにもかもを覚えておくことはできぬ。わっちゃあ、それが怖くなってきたんじゃ」
変わらぬ穏やかな日常が続くことが幸せなのは、人間がせいぜい100年かそこらという短い命だからであろう。
また、ホロのこの不安も、数百年生きてきて味わったことのない幸せの中に今その身を置いているからこそ生まれたものなのだろう。
『狼と香辛料』という物語
最終的に「毎日の生活を本に書き留めておく」という方法で彼らは二人の思い出を残すことにする。
この方法自体は、今までのシリーズで登場した事件の解決策に比べれば特別に機転の利いた奇抜なものというわけではない。
しかし今回は、本シリーズそのものの存在の意義を示してくれるという、陳腐と言えば陳腐だが、この上なく鮮やかなオチであった。
「本とやらには題名がありんす。ぬしの名前でもつけるかや?」
「ここの湯屋の名前はなんだった?」
「ふむ?ふむ。確かに、それが一番じゃな」
私たち読者が10年間読み続けてきた「一人のたわけと一匹の賢狼の物語」は、彼ら自らの手で記したものだった――
支倉凍砂氏がどこまで想定してこのタイトルで書き始めたのかは本人のみぞ知るところであるが、仮に後付けであろうが何だろうが、この展開は読者にとって幸せ以外のなにものでもない。
誰が見ても苦笑して、やれやれと肩をすくめるものになるはずだった。
見事になってるよ!!
それが読者からすれば最高なんだよ!!
……とまあ、柄にもなく「!」を使うぐらい熱くなってしまうほど私は『狼と香辛料』が大好きであるし、『記憶』の出来は素晴らしかった。
『狼と香辛料』が積み重ねてきた10年がここに全て集約されていると言っても過言ではないだろう。
Merchant meats spicy wolf.
これはシリーズを通して各巻の表紙に書かれているサブタイトル(?)的な一文である(「meets」ではなく「meats」になっているのは単なる誤字だろう)。
この一文の通り『狼と香辛料』は典型的な「ボーイ・ミーツ・ガール*1」で物語が幕を開ける。
『狼と香辛料』読み始めの頃は何の気なしに読んでいたシーンであるが、19巻を読み終えた今、心から感じることがある。
ホロとロレンスが出会ってくれて本当に良かった。
ホロが偶然ロレンスの荷馬車に潜り込んだおかげで二人の物語は生まれ、今、19冊(+2冊)の本になっている。もし二人が出会っていなかったら『狼と香辛料』という物語は誕生しなかったのだ……などと真面目に考えてしまっているのだ。
自分でも書いていてこっ恥ずかしい限りだが、これだけ一つの作品にのめり込めるというのは本当に幸せなことなのだろう。
続編『狼と羊皮紙』もまだまだ続いていくようなので、そちらも引き続き応援していきたい(『羊皮紙』については過去に書いたエントリもあるのでそちらも是非)。
まとめ
冒頭に書いたとおり、かなり恥ずかしい内容になってしまったが、今回はそれをよしとする。
自分の好きな作品と向き合うときは、恥じらいなど持っていては本当の良さはわからないのだ。
『狼と香辛料』はそんなことを気付かせてくれる作品でもあったようだ。
(※5/24追記:思わず1巻から読み返してしまったのでその感想・考察エントリも作成した。)