ロリとノスタルジーと芥川龍之介
今回はじっくりと「ロリ」について語りたいと思う。
「ロリ」そのものよりも、その周辺と言ったところだろうか。
COMIC LO
ロリを語るにおいて絶対に外せない存在が、ロリ作品専門成人向け雑誌「COMIC LO」である。
成人向け雑誌らしからぬ独特の雰囲気を持った表紙や、「Yesロリータ!Noタッチ!」のコピーなどでロリコン以外からも認知されることもしばしばあるLOは、世のロリコンたちの自意識に多大な影響を及ぼしていると思われる。
その中でもロリコンの脳に殊にすり込まれている思考の一つが、「ロリ」と「ノスタルジー」の結びつきであろう。
今でこそ私はこの結びつきを当然のように意識しているが、もしもLOの存在がなければ、想像力の貧しい私がこれをハッキリと自覚できていたかどうか怪しいところである。
焦点をLOの表紙に向けてみる。
LOの表紙には少しエロい回もあれば全くエロくない回もあるが、どちらの場合も大なり小なりのノスタルジーや儚さ、そして若干の不安を感じるデザイン(イラストとコピー)になっている。
ロリコン達はこれを毎月目にすることで、自然と「ロリはノスタルジックで儚いもの」という印象が植え付けられるだろう。
この思考が染みついてくると、世の多くのロリ作品にノスタルジーや儚さを見いだすようになってくる。
芥川龍之介「あばばばば」
私がLOの表紙に最も近い感覚を覚えたのは、芥川龍之介が大正12年に発表した小説「あばばばば」である。
現在は青空文庫で公開されており、短編ですぐ読めるので、未読の方は是非とも読んでいただきたい。
雑貨屋の店番をしているヒロインはロリではない(主人公曰く「やつと十九位」)のだが、主人公にミスを指摘されて顔を赤らめるなど、非常に初々しい少女である。
しかし、物語の最後では、ヒロインは一児の母となっており、「あばばばばばば、ばあ!」と子供をあやす姿を主人公が目撃してしまう。
主人公と目が合っても、ヒロインは恥じらいもせずに子供をあやし続ける。
ついこの間まですぐに顔を赤らめていた少女が、いつの間にか「度胸の
この作品を読み終えたとき、真っ先に「あ、LOの表紙っぽい」という感想が浮かんだ。
芥川龍之介の作品に何を言っているんだと思われるかもしれないが、LO読者ならきっと理解していただけるはずだと信じている。
少女とは儚い故に美しいのである。
電脳コイル
ロリの話に戻ろう。
「ロリ」と「ノスタルジー」が切り離せないのは、ロリ作品の性質上、小学校を舞台にした作品が多くなるのは当然で、それが自分の記憶と重なるためというのが大きいだろう。
例えば「電脳コイル」だ。
基本的にはシリアスなSF作品である本作だが、特に序盤は小学生同士がわちゃわちゃと戯れているような描写が多い。
当人達は本気なのだろうが、客観的に見れば「未来的ガジェットを使った子供のケンカ」である。
小学校の校舎内での男子対女子の抗争のシーンなどは、電脳メガネさえ除けば、誰もが子供の頃に目にし、体験したワンシーンなのだ。
全体的にやや暗めな画面の色合いや、駄菓子屋や神社といったある意味わかりやすい要素は、ノスタルジーを強く想起させる。
これはロリコンの戯言と思っていただいて全く問題ないのだが、ノスタルジーが存在するとそれと常に一対になってエロも見いだせないだろうか。
……引くどころか「何を言っているのか全くわからない」とお考えになるのも大変よくわかるが、私はそうなのだ。
恐らく、自分の脳内で「ロリ」と「ノスタルジー」が完全に結びついてしまっているために、ノスタルジーを見ると「うわっ!エロい!」と"脳がうっかり"(ラジオ深夜の馬鹿力「空脳アワー」より)してしまっているのだと思う。
電脳コイルは健全な作品です。
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とりあえず今回は「ロリ」「ノスタルジー」「あばばばば」「電脳コイル」の話をまとめてできればよかったのでこんな感じで〆。
「チロリン堂の夏休み」「陽差しの中のリアル」「今日の5の2」あたりの話もしたかったが、まあ今回のエントリに興味を持った方であれば楽しめる作品だとは思うのでよろしければ是非。
【夜行(森見登美彦)】読後数分間に生まれた醍醐味
(※読んだ人向け)
世に出てから間もない作品を当ブログで扱うことは少ない。
最近考察を書き続けていた「ローリング☆ガールズ」は約1年半前の放送と比較的新しい作品だが、「ヨコハマ買い出し紀行」やら「かみちゅ!」やら「どらえもん のび太と鉄人兵団」やら、10年以上前のアニメ作品を今更のように取り上げることもしばしばである。
公開から(当ブログ内で)最速で取り上げたのは「シン・ゴジラ」だった。
期待半分、不安半分で映画館に行ったが、見終えた後には何が不安だったのかすら忘れてしまうような傑作であった。
そして今回は2016年10月25日に刊行されたばかりの森見登美彦氏の新作「夜行」(以下「本作」)について思ったところ等を書いていきたい。
Google検索で「夜行 考察」などでこのページに辿り着いてしまった方には大変申し訳ないが、以下に記すのは考察でも解説でもなく「思ったこと」「感想」なので、その点はあらかじめご了承いただきたい。
というのも、今回このエントリを書こうと思い立ったのは、本作を読み終えたとき、奇妙でモヤモヤとした感じが頭の中に渦巻いており、それを文字に起こすことで自分の頭の中を整理しようと考えたためである。
私はもともと森見氏の作品が好きで、「太陽の塔」「きつねのはなし」「夜は短し恋せよ乙女」「有頂天家族」「有頂天家族 二代目の帰朝」「聖なる怠け者の冒険」は拝読しており、「四畳半神話大系」はアニメ版のみ拝見している。
森見氏の作品には「夜は短し~」や「聖なる~」など、ドンチャン騒ぎのエンタメ小説もあれば、「きつねのはなし」のような、それこそ狐につままれたような感覚に陥る怪奇小説もある。
文体や作品のテイストは作品ごとに大きく違うが、その根底にあるてろてろとした森見氏独特の味は共通している。
それは本作も例外でなく、タイトルから推測できる通りジャンルとしては怪奇小説に寄っているが、やはり読んでいるときの「森見作品を読んでる感」は健在であった。
本作は、数名の語り手が連作絵画『夜行』にまつわるそれぞれのエピソードを語る形式になっているが、全ての話は決定的な解決を迎えずに「不思議なまま」で終わってしまう。
これは「きつねのはなし」のときも同様だったのだが、「きつねのはなし」では各短編の間での総括などもなく(ちょっとずつリンクしている部分はあった)、投げっぱなしとまではいかずとも、読者側がいろいろと考えてそれぞれの解釈に辿り着く必要があった。
また、その辿り着いた答えも果たして森見氏の意図したものに沿っているかどうか、全く自信は持てなかった。
その点、本作は違う。
各話の謎に対する答えが明らかにされているわけでもないし、暗に臭わせてすらいない。
それ故に、自分の中でも明確な答えは出ていないのだが、読後に受けるべき印象というのが非常に明確に感じられる作品なのである。
「受けるべき印象」というのもおかしな日本語で恐縮なのだが、本作の読後感を最も的確に表すことができている表現であると思う。
第一夜から第四夜、そして最終夜と、全5話編成の本作であるが、最終夜「鞍馬」でそれまでの不思議な出来事の原因が連作絵画『夜行』にあることが明かされていく。
それまでの話は基本的に不気味さを軸に進んできたが、「鞍馬」の話の軸は一転して穏やかさや暖かさにシフトしている。
先ほどまで怪奇小説を読んでいたはずなのに、いざその元凶に焦点を当ててみると"いい話"が始まるという非常に不思議な構成なのである。
そしてその"いい話"の感じのまま、物語は終わりを迎える。
読み終えたその一瞬だけはとても晴れやかな気分になるが、少しずつ思い出してみると、後から後からモヤモヤしたものがにじみ出してくる。
各話の出来事の問題は何も解決していないのだ。
「鞍馬」を読んでいる最中も、それまでの不気味な話の内容を忘れているわけでは決してない。
むしろそれまでの不気味さがあるからこそ「鞍馬」の"いい話"っぷりがより盛り上がっているのは間違いないだろう。
読後、自分の中での本作の印象が"いい話"から"不気味"に引き戻されていくときは何かに騙されているような感覚すらある。
しかし、私はこの感覚こそが本作の一番の醍醐味だと思っている。
読書をするとき、その作品を読む前後や、1回目の読後と2回目の読後で作品の印象が変わることは多々あるが、読後の数分間でこれほど印象が変化する作品が他にあるだろうか。
本作は、作中ではなく読後の自分の心の中に最も楽しい瞬間が待っているという、なんとも不思議な作品であった。
【ローリング☆ガールズ第9話その2】Stand by me.(そばにいてくれ)
9話Aパートからだいぶ間が空いてしまいましたが、Bパート感想・考察です。
舞台は真茶未と執行さんの入院している所沢総合病院へ。
執行さんは石をなくしており、お礼参りを恐れて仮病で入院を続けています。
やはり執行さん自身もあの石がモサの力の源と信じており、真茶未も音無もそのことは疑っていません。
大統領が石を集めていることを真茶未は知っているようですが、あくまで「集めている"みたい"」と推察の域を出ていないようです。
そして千綾の子供の頃の回想。
母ハルカは多忙のためなかなか千綾に構ってやることができず、千綾は孤独を感じます。
そのときにもっていた本「スタンド・バイ・ユー」。
これは有名な上に結構そのまんまなので分かりやすいとは思いますが、映画「スタンド・バイ・ミー」が元ネタですね。
ジャケットもオマージュしているようです。
ローリング☆ガールズと「スタンド・バイ・ミー」の関係について、単にこのシーンだけでオマージュとして使われただけでなく、「4人の仲間たちの一夏の旅」という作品の根幹としてオマージュを捧げているのだと思います。
僕が言うまでもないことかもしれませんが、「スタンド・バイ・ミー」は本当にいい映画です。
以前「イージーライダー」も散々オススメしましたが、やはりこれだけはっきりとオマージュを捧げられているからには、ローリング☆ガールズ好きの方には是非見ていただきたい作品です。
というかローリング☆ガールズ関係なしに、心にじんわりと染みてくる素晴らしい映画なので、見て損はないと思います。
ちなみに僕は鹿のシーンが好きです。
www.youtube.com主題歌を聴くだけでも泣きそうになります。
そしてついに明かされる千綾が宇宙人であるという事実。
このときって望未と結季奈も聞いているんでしょうか。
その前のカットでの位置関係的には普通に会話の内容も聞こえていそうですが。
しかしこの事実は年頃の女の子にはあまりにハード過ぎませんか。
ハルカはそのあたりのことはどう考えているのでしょうか。
家の中にほぼほぼ閉じ込めて他人と会わせないようにしていたら、本人には宇宙人であることを隠す必要もないような…。
物語終盤でそのあたりが解決したかどうかは覚えていないので、終盤話数を待ちます。
執行さんの石を取り戻すために所沢大統領府に忍び込み、同時に忍び込んだ石作ストーンズの大伴と鉢合わせする音無。
自分は大統領の娘だとハッタリをかますも、好都合だとあっさり拉致されます。
音無みたいなタイプの女の子が乱暴な扱いされるのってなんか興奮しますね。
一方、石作ストーンズの地下ドック(工廠[こうしょう])に潜入した籾山は、そこで巨大な潜水艦(のような形をした何か)が建造されているのを発見します。
広島で工廠といえば、戦艦大和の建造で有名な「呉海軍工廠(現:ジャパン マリンユナイテッド呉工場)」がモデルになっているのは間違いないでしょう。
僕も初見のときは気付いてなかったのですが、この作品に登場するモノで元ネタがないと思うのが間違いでしたね。
そしてラストでは望未たち4人がバラバラになったところを映して第9話終了。
結季奈はしょっちゅうはぐれていましたが、4人全員がバラバラになるのは今回が初めてではなかったでしょうか。
望未が月を見上げる様も含めて、非常に不安を煽りつつも「Stand by me(そばにいてくれ)」という言葉が染みる引きになっていました。
さて、ついに幕を開けた最終章岡山・広島編ですが、僕は正直この章の内容をかなり忘れてしまっています(名古屋編と京都編の印象が強すぎて…)。
ガッツリとSF展開になったいったことだけは覚えてるんですが、じっくりと考察しながら視聴すれば新たに見えてくるモノもあるのでしょうか…。
残り3話に期待しつつ見守ることにしましょう。
【ローリング☆ガールズ第9話その1】かぐや姫とその周辺。
いよいよ最終章の岡山・広島編に突入です。
瀬戸内海の浜辺で水遊びに興じる一行。望未と結季奈は最初はあまり乗り気ではなかったようですが、何だかんだで結局楽しんでいます。
そんな中での逢衣のこのワンシーン。
水着に帽子って妙にえっちくないですか…。
各キャラにイメージカラーが決まっていて、結季奈の帽子をかぶることでそのバランスが少し崩れたのが逆にいい味を出しているのかもしれません。
結局浜辺でそのまま一日中遊び倒して今日も野宿をすることに。
結季奈が「もうすぐ満月ですね」と言ってさらりと終盤へ向けての伏線を張ります。
最終盤で満月の夜にどうのこうのという話になったかと思いますが、千綾は自分が宇宙人であることすらまだ知らされていないので、この時点では特に意識していないでしょう。
それよりももうすぐ旅が終わってしまうということをとても気にしているのは、やはり年相応の女の子といったところですね。
この直後の望未が少し何か考えている様子を見せるのは、そんな千綾の心境に気付いているのでしょうか。ことさら明るくその場を締めます。
場面は変わり、厳島神社で石のやりとりに関する話をしている石作ストーンズの石作志摩と大伴貴将。
ここで酒呑童子の名前が出てきます。
酒呑童子は基本的に面白いことにしか首を突っ込まなさそうな感じでしたが、ストーンズに石を売りつけているのはやはり何か「面白いこと」に繋がると踏んだからでしょうか。
まあ宇宙旅行が面白くないはずないですかね。
夜が明け、望未たちの野宿している海辺が映されます。
朝もやに瀬戸内の島々が霞むこのちょっとしたカットが旅の雰囲気を出していていいですね。
ロードムービーの風景描写、これ大事。
こんな景色をバイクでのんびりと走ってみたいものです。
そして道の駅での望未と逢衣の喧嘩のシーンです。
ここで望未は自分勝手な逢衣に対して、先日海で遊んだせいでまだ広島に着いてないと文句を言いますが、逢衣にあっさり「それは今関係なくない?」と返されてしまいます。
このときの望未の気持ちはわからないでもないんですよ。
恐らく望未が本当にぶつけたかったのは昨日の海の一件だけのことでなく、今まで散々自分勝手に振る舞ってきた逢衣に対して蓄積された感情だったと思います。
しかし頭に血が上って、つい一番記憶に新しい海の件を引き合いに出してしまったのでしょう。
そして海では望未も一緒になって遊んでいて逢衣だけが悪いわけじゃなかったのも都合が悪かった。
この(口)喧嘩慣れしてない感じもまた"普通"の女の子だなぁという印象を強く受けます。
「自分勝手だ」と言ってくる望未に対して、逢衣は「望未はリーダー気取りだ」と反論します。
このやりとりも、単なる女の子同士の口喧嘩のように見えて、「モブはリーダーたりえないのか」といったローリング☆ガールズの大きなテーマにのっとったものになっていると思います。
シリアスな喧嘩の中で飛び火を食らった人が約一名。
逢衣「(道を間違えることが)結季奈ほどじゃないだろ!?」
負けるな結季奈、君は方向音痴じゃないんだから。
結局そのまま逢衣は喧嘩別れして、3人で依頼人のもとへ向かうことに。
竹がうっそうと生い茂る広島の町に到着します。
名余竹バンブーに到着すると、名余竹輝夜(なよたけかぐや)と車持不比等(くらもちふびと)の二人が一行を迎えます。
名余竹輝夜の名前はもちろん竹取物語で娘に付けられた名前「なよ竹のかぐや姫」が由来です。
そして車持不比等の「不比等」という名前は、日本史で「藤原不比等」という名前を聞いた覚えはありましたが、何故ここでこの名前を使っているのかが疑問でした。
調べてみると、藤原不比等は竹取物語に登場する5人の貴公子のうちの一人「車持皇子(くらもちのおうじ)」のモデルとされる人物だったんですね。
ローリング☆ガールズを見るためにはこんなとこにまで詳しくないといけないのか…。
ここまで書いて、それじゃあ石作の名前の由来ってもしかして…と思ったのですが、やはりこちらも同じく5人の貴公子のうちの一人「石作皇子(いしづくりのみこ)」が由来のようです。
そして大伴貴将(ストーンズ副将)も同じく5人の貴公子の一人「大伴御行(おおとものみゆき)」が由来かと思われます。
ほんとこの作品は調べれば調べるほどいろんなものが出てくるなぁ。
Aパート終わった時点でけっこう文字数いっちゃったのでBパートは次回書きます。
【ローリング☆ガールズ第8話】やはり団長のお二人さんは愛し合っていた!!
もし僕が「話数単位で選ぶ~」で一つ選ぶとしたらこのローリング☆ガールズ第8話が間違いなくトップです。
実際、2015年のランキングでは3位にランクインしたそうです。
それほどにこの話数が与えた衝撃は計り知れないものでした。
放送当時、思わず立ち上がって拳を握ったことは今でも鮮明に覚えています。
ローリング☆ガールズで白眉と称されることも多い第8話ですが、とりあえずいつも通りシーン順で追っていきましょう。
今回はアバン(OP前のパート)がかなり短めです。
本作は全体を通してアバンが長めだったので、この時点でどこか今までと違う雰囲気を漂わせています。
そういえば今の深夜アニメってアバンがあるのが多数派ですけど、一昔前や夕方のアニメなどはアバンがない方が多いような気がします。
演出的な意味合いで視聴ターゲットによってこれを変えているのでしょうか。
アニメのアバン文化について詳しい方がいらっしゃったら教えてください。
話は本編に戻ります。
フェスのポスターがまだ下書きまでしかできていないとのことで結季奈が清書を行うことに。
案の定ミサワ絵になって、結局シルエット処理にされてしまって結季奈は落ち込みます。
ここで千綾が結季奈を元気づけるためにみんなを舞妓体験に誘います。
特に目立つ心理描写もなく、ごく自然な形で千綾が動いたので気付きにくいかもしれませんが、今まで「何かを許すこと」や「石をあげること」など、受動的であったり既にある程度の流れ(展開)ができた上での優しさは見せたことはありました。
しかし、千綾が自発的に、それもみんなを引き連れてこのような行動をとったのはここが初めてではないでしょうか。
恐らく、今までの道中で、困っている人を見ると放っておけなかった望未を隣で見ていた故の行動でしょう(それが意識的かどうかはともかく)。
Bパートの文句なしに最高なシーンに隠れがちですが、1話~7話までの積み重ねによる千綾の成長が垣間見えた良いシーンだと思います。
千綾のデジカメで美沙の頭の中を覗いて子供時代の二人の回想を見るシーンがありますが、菊志乃(豆千代の母)が二人を探している場所は南禅寺境内にある琵琶湖疏水の水路閣ですね。
その名の通り琵琶湖から京都に水を引くための水路で、明治時代に建造されたものです。
有名な史跡ではありますが、どこかで見たことあるなーと思っていたらブラタモリの第1回で紹介されてたのを思い出しました。
ブラタモリは僕の好きな番組の一つです。
地質学的なことなど小難しいことも多いですが、非常にわかりやすく丁寧に解説されます。
そして何よりタモリが楽しそうに歩き回る姿を見るのが一番楽しいです。
ローリング☆ガールズとはあまり関係ないですが、オススメの番組です。
桜の季節に二人は出会い、イチョウが色づく頃もずっと一緒にギターを弾いていますね。
南禅寺という趣のある場所で季節の移り変わりを描く、短くも美しい回想シーンだと思います。
そんな二人の昔の様子を見た望未たちは、何とか仲直りさせられないかと考えます。
そこで美沙のピック(石)が盗まれる事件が発生し、フェスまで時間がないので望未たちが犯人を捜すことになりました。
豆千代が犯人であることは突き止めますが、既にピックと豆千代のバチは鴨川の底。
望未たちが慌てて拾いに行きます。
鴨川が浅くて助かったね。
その頃、籾山が三十四間堂に忍び込み、酒呑童子と会話をしていました。
酒呑童子の「あんたも宇宙旅行したいクチか?」というセリフがありますが、この酒呑童子という男はどこまで知っているのでしょう。
るろうに剣心でいうところの比古清十郎みたいなジョーカー的存在じゃないんでしょうか。
場面は鴨川に戻り、川底のピックとバチを探す望未たちのところに現れた菊志乃。
モーセかな?
ここで菊志乃が「あのとき美沙に『豆千代を惑わすな』と言ったのは私だ」と伝えることで、全ての謎が解けます。
美沙も、豆千代が舞妓の道から逃げたがっていたことに気付いていたが故のガン無視だったんじゃないでしょうか。
誤解は解け、豆千代はピックを届けるためにステージに向かうことになります。
しかし既に三十四間堂の仏像ミサイルは発射されていました。
さっきまでシリアスでいい話してたのに「清水の舞台から迎撃砲」っていう大変頭の悪い展開を持ってくるのが非常にローリング☆ガールズらしくて最高ですね。
ステージに辿り着いた豆千代が無事にピックを美沙に渡し、いよいよ「STONES」の演奏が始まります。
愛知三重編のラスト同様、語るのも野暮な気もしますが…。
こういうド派手な砲撃戦とバンドのライブの組み合わせの作品って今まであまりなかったのではないでしょうか。
マクロス7とかだとあったりしたのかな?見てないのでわかりませんが…。
ともかくこの砲撃戦はライブを盛り上げるのに最高の演出です。
酒呑童子の「盛り上げてやるよ」という言葉の通りだったわけです。
そしてこれは作画的な話になるのですが、各メンバーの演奏の動きが非常に忠実に再現されてるのが大変素晴らしかったです。
特に半ちゃんのこのカットなどは、クレッシェンド(音を段々と強くすること)まで完璧に表現されていました。
Angel Beats!やハルヒのライブアライブなど、ロトスコープ(実際の人間の動きをトレスする作画法)で徹底的にリアルさを追求した作品はありましたが、いかにもアニメっぽいエフェクト等を使いまくる本作には合わなかったでしょう。
(恐らく)このシーンのコンテから原画まで担当されている江原康之氏のロックへの愛を感じます。
そして豆千代の飛び入り三味線ソロ!
そりゃもう予想通りとしか言い様がないけどこれをやらなかったらもう京都編の意味ないでしょ!ってぐらいのシーンですね。
そもそもこの京都編はストーリー自体も超王道の展開なんですよね。
昔仲が良かった二人が突然の仲違い。しかし実はそれは相手のことを思ってのことだった。そして最後は仲直りしてハッピーエンド!
この最後の最高のステージを気持ちよく見せるためには奇をてらったストーリーは必要なかったと思います。
ある程度の予定調和の中で、それを全て納得させる絵・音楽・演出が完璧に揃ったライブシーンでした。
そして最後に美味しいところを持って行く酒呑童子のアニキ。
僕は敬意を持って「世界一格好良い自作自演」と呼ばせていただきます。
格好良いとしか言い様がないですよ…。
8話総評
序盤のちょっとした良さなんかを語ったりもしましたが、この話数は何をどう考えてもライブシーンが素晴らしかったという褒め方しかできません。
それほどに圧倒的なクオリティでした。
「これぞアニメーション!」というような、ケレン味たっぷりどころかケレン味しかなくてむせかえりそうな演出ですが、それがむしろ最高に心地良いです。
シーン単体としての演出面でこれを超えるような作品が現れるでしょうか。
そんなものが見られるならそれはそれで大変嬉しいことですけどね。
【ローリング☆ガールズ第7話】団長のお二人さん、愛し合ってるぅ?
ローリング☆ガールズ第7話感想・考察です。
今後は週に1本のペースで書いていきたいと思います。
名古屋から京都へ向かう途中、道に迷ったことで奈良県の十津川温泉に辿り着いてしまった望未たち一行。
どこをどう間違ったらここまで辿り着くんだ…。
ちなみにこの十津川村は日本一広い村らしく、東京23区を合わせた面積よりも広いとのことです。
なんだこの無駄な広さ。
ちなみにちなみに人口密度は全国1738の市区町村の中で1705位です。逆にすげえ。
ちなみにちなみにちなみにこのカットで画面右端に映っているのは十津川村の名所「谷瀬の吊り橋」です。
相変わらずご当地ネタの徹底が凄い本作です。
この吊り橋めちゃくちゃデカいです。
十津川村の紹介はこれぐらいにして本編の話を。
十津川温泉を後にした望未たちは今度こそ京都へ向かいます。
その道中で自然とモミハンのSTONESを歌い出す一行。
これですよ。この感じが「ロードムービー」ですよ!
映画「さすらい」で主人公たち二人がトラックでの旅の途中ハインツ・バートの「Just like Eddie」をノリノリで歌っているシーンを彷彿とさせます。
「さすらい」は素晴らしい映画なので是非とも見てみることをオススメします。
1976年の西ドイツの白黒映画なのですが、まったりと流れる時間や要所でかかる哀愁漂う音楽がたまりません。
ローリング☆ガールズを楽しむためには「イージーライダー」と「さすらい」を見ることだと思います。
…お気づきの方もいるかもしれませんが、この2本の映画を見たのは奥田民生の影響です。
でもどちらも素晴らしい映画だったんです、ホント。
いかん!ロリガの話が全然できてない!
でもこうやっていろんなところに派生していくのがロリガの醍醐味の一つだと思うんです。
日が暮れて奈良のお堂の前でキャンプをする一行。
このキャンプのシーンもバイク旅の感じが出ていていいんですよねー。
ラフな格好で折りたたみの椅子に座って歯磨きする姿に浪漫を感じずにいられますか!
千綾がテントをのぞき込みながら「うーたん、もう寝てる」と言うのも、キャンプの夜の風情が出ていていいシーンだと思います。
京都に辿り着いた望未たちは鴨川ロッカーズの団長一条美沙と出会います。
この「一条」という名字は、日本の伝説で酒呑童子を退治したと言われる「一条天皇」から取っているのではないかと思います。
望未たちは早速ロッカーズのライブを見ることに。
そこに現れる酒呑の一派。
所沢編以来のド派手なバトルシーンが心を熱くします。
酒呑童子の無敵キャラな感じがまたいいですね。実は劇中最強だったりしないですかね。
美沙がさらわれ、ハイエースに乗って酒呑の一派のアジトがある大江山へ向かう一行。
バンドマンと言えばやっぱりハイエースですよね!
豆千代率いる舞妓どすどすも加勢に駆けつけ、酒呑の一派と一戦交えます。
豆千代はん案外お強いんですなぁ。
ここで豆千代は酒呑童子に対して「話が違う」などと意味深な言葉をかけます。
何を企んでいるのやら。
舞台は再びロッカーズ事務所に戻り、そこへ現れたマー坊が一言。
「愛し合ってるぅ?」
これはもちろん伝説のロックスター忌野清志郎のお決まりのMC「愛し合ってるかい?」のオマージュです。ロックへの愛を感じます。
そしてロッカーズのメンバーから京都での「石」の価値観について聞く望未たち。
その中で「京都では昔から不吉な石と言われている」という話が出ます。
京都で「昔から」といったら少なくとも百年単位の話になると思われます。
となると、その頃からその石は存在していたことになります。
ここ数年で突如現れ始めたものではなかったんですね。
少し情報が得られたような、また謎が深まっただけのような…。
忌み石ポストを見張る望未たち4人。
郵便屋っぽい人が回収しようとするところから千綾が何とかして目をそらさせようとします。
何故こんな微妙な妨害を…?
千綾は結局石を集めたいのか集めたくないのかはっきりしませんね。
回収した人物を追いかけていくと、辿り着いたのは酒呑の一派のアジト。
そこでは何故か宴会の席で歌わされる美沙がいました。
それを見て感動の涙を流す望未たち。
泣くほどかとも思いましたが、このときの最後のギターの音がCでSTONESの最後の音もCなのでここで歌っていたのはSTONESで間違いないかと思います。
そして別れ際の酒呑童子の台詞「盛り上げてやるよ」がなんのひねりもなくそのままの意味だったということを知るのは8話の最後のお話。
次のシーンで豆千代が普通に酒呑童子にお酌していますが、これは美沙をさらう前の回想でしょうか。
というか元々の酒呑の一派と舞妓どすどすの関係性も気になります。
酒呑の一派は「やんちゃな集団」程度の認識なのか、「暴力団」に近いものなのか。
まあ後者だとこんな普通にお酌したりはしていないはずなので前者だとは思いますが。
最後に三十三間堂もとい三十四間堂の1001体の観音様が全部ミサイルになっているというとんでもない罰当たりなことを明らかにして第7話終了。
このシーンを見て物凄くワクワクしてしまうのは第8話の内容を知っているせいでしょうか。
確か初見のときは「うわっ!こいつ(酒呑童子)めっちゃ悪者やん!」と思った気がします。
さていよいよ次回は伝説の第8話。
今から見るのが楽しみです。
【ローリング☆ガールズ第6話】栄光に向かって走る あのケッタに乗っていこう
ローリング☆ガールズ第6話感想・考察です。
ダンディにバイクを修理してもらった学生時代の友亀。走るのがつらくなったとこぼします。
少し間をおいて発される「そんなときもある」というダンディの言葉。ダンディにも同じような時期があったのかと考えてしまいます。
それとも「そんなとき」が伝説のライダー望都屋大治郎の引退のときだったとか。真相は闇の中です。
友亀少年も望都屋大治郎に憧れていたようですね。
屋根の上での姫ちゃんと友亀の会話。
ここで石が降ってきます。石が現れる条件は命の危機ではなさそうですね…。
「何かしら大きな心の動きがあったとき」とか?それとも特定の条件はないのか…。最終話までに解けるのでしょうか。
ロリ姫ちゃん可愛い…。そりゃ友亀少年も惚れますわ。
できればこのままの君でいてほしい。
「大切なことを思い出させてくれた」との友亀の台詞。
このときの友亀は走ることの楽しさを一度取り戻しているようですね。
後の(現在に至る)周囲に競い合える相手が居ないという悩み・虚無感とは何かしら別の事案のようです。
少し場面はとんで冷蔵庫で冷え冷えの千綾がお風呂に入ってるシーン。
なんで浮かんでるのがアヒルじゃなくてニワトリなのかと思ったら「名古屋コーチン」なんですね。
小ネタは随時拾っていきます。
金シャチ総合病院にて、
友亀「競い合える相手が、誰も…」
ダンディ「それは、寂しいな」
ダンディのこの共感を覚えているような言葉は、かつて望都屋大治郎が同じような状況にあったことを示しているのではないでしょうか。
気になるのでOVAでダンディの過去編とかやってもらえないでしょうか…。
本作は魅力的なキャラが多く出るのですが、一編2話という構成上、各キャラの過去まではなかなか深く掘る余裕が無いのが少し寂しいところです。
そしていよいよレーススタート。
ここからは語るだけ野暮な感じになっていきますが、そう言ってしまうと終わってしまうので少しずつお話を。
友亀と姫ちゃんの悩みは根っこの部分が同じだったんですね。
大好きだったはずのものがいつの間にか何かしらの理由でつらく嫌なモノになってしまっていた。
しかし、愛知と三重の対立というある意味危機的な状況のために、その好きなこと(レースとシャチホコ)に向き合ったとき、それぞれの「好きだ」という気持ちに気付くんですね。
さぁここからはいよいよ説明不要(説明不可能)。
軽トラでどうやってバイクに追いついたのかとか、
チャリでどうやって追いついたのかとか、
何故ライダーのここぞという場面でわざわざチャリにするのかとか、
なんで大砲でぶっ放したヤツが上手くシャチホコに取り付けられたのかとか、
細けえこたぁいいんだよ!!(by執行さん)
その方が熱いから!楽しいから!!盛り上がるから!!!
レース終盤はとにかくそのノリでしたね。
それが最高に熱かったです。
この6話終盤はローリング☆ガールズのいいところを凝縮させたようなものになっていると思います。
何もかも忘れてひたすらお祭りを楽しむような。
今までで最高の話数でした。
そして次はもっと最高な京都編が待ってるんだよなぁ…。