Do you see the GIRL

元・アニメ制作進行の自分が、アニメを見ての感想だったり、映画を見ての考察だったり、エロゲをやって勃ったことだったりを書いていくブログです。

【アニメ「ローリング☆ガールズ」第1話その2】打った布石を薙ぎ払う怒濤のキラキラ

前回が第1話のAパートのみで終わってしまったのでその続きBパートです。

 

まずは真茶未と望未がバイクで帰路に就いているシーンです。

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背景も相変わらずキラッキラですね。こういうしっとりした場面ではもうちょっと落としてもいいような気もしたのですが、ここでの望未のセリフにはモブであること(もしくは子供扱いされること)への劣等感が見えるので、モサへの憧れといった意味合いで周り(とバイクを運転する大人な真茶未)がキラキラして見えたのかもしれません。

実際、望未が自分のことを「モブ」と言ったのはこのシーンが初めてです。

序盤で、真茶未の「そばに居たい」ではなく「役に立ちたい」と言っていましたが、そこでもやはり「超えたい」という発想には至っていませんでした。

望未の中で自分が「モブ」であるということは(望未が自覚している以上に)根深く染みこんでいるのかもしれません。

 

日吉町プロペラーズ事務所でのミーティングはやや気になるところが。

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いや、確かにワニさんはめちゃくちゃ気になりますし、猫耳美少女は凄く可愛いんですが、気になるのは会話の内容です。

眼鏡の人の「交代で昼食を取って、引き続き警戒してくれ」という台詞を聞いて、本人達にとっては結構シリアスな問題であることがわかります。

基本的にコミカルな作風で進んできたために忘れがちですが、自警団同士の領土を賭けた「抗争」ですからねぇ。

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あっ、ワニさん顔の向き左右どっちでもいいんだ…。

 

そしていよいよゆきっぺ登場です。

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ナンバープレートの「1207」ってもしかしてと思って調べてみたらゆきっぺの誕生日(12月7日)なんですね。芸が細かい。

 

その直後のゆきっぺがプロペラーズに辿り着いたことを祝福するシーンで密かにこんなことが起きていました。

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なに望未に色目使ってんだよガキィ!

このガキには世間の厳しさを教えてやらねばなりませんね。

隣のワニさんはこんなに素直に喜んでいるというのに…!

 

その後のまぼろし軒のシーンでは執行さんを見た客や大将が露骨に嫌な顔をしていて、今回の抗争が、お互いの自警団だけでなく地元住民を含めた結構根の深い問題だとわかります(大将は数秒で籠絡されますが)。

そりゃあ領土問題ともなれば住民も無関心なわけないですよね。

 

そしてなぜか始まるラーメン早食い対決。

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割り箸を割るときに炎のエフェクトが出るアニメといのは始めて見た気がします…。

モサ同士の戦いは徹底的に派手にするという気概が感じられますね。

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猫舌執行さん可愛い。

 

そして出ました「イージーライダー」ネタ第2弾。

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執行さんのバイクは「イージーライダー」の主人公ワイアットが乗っている「キャプテン・アメリカ号」なんですね。

星条旗の星マークがハートマークになっていますが、それ以外はほぼまんまです。

格好良すぎますよ執行さん…。謝肉祭にでも行く気ですか。

 

そして最後は所沢ゆうえんちでプロペラーズの団員たちがピンチに陥ったところで引き。

 

 1話総括

作品の内容よりも、キラキラでドンパチでド派手な雰囲気を印象づけさせるための第1話だったように感じます。

千綾は素顔を見せず逢衣はほとんど台詞もないですが、下手にキャラ紹介的な1話にしてしまうよりも断然よかったです。

僕自身「何となく面白い」作品が大好きなのですが、この第1話を見て思ったのがまさしく「何となく面白そう!」でした。

執行さんの過去をちょっと臭わせたり、「月明かりの石」というキーアイテムをちらつかせたりと2話以降への布石は少しずつ打ってますが、全て忘れさせるようなキラキラなアクションが脳裏に焼き付いています。

細かいところはわからなくても2話をみたくなる、「最高の第1話」でした。

 

さて、次回は第2話です。

【アニメ「ローリング☆ガールズ」】第1話のモブとモサの緩急、そして萌えキャラ執行さん

第11回は、ローリング☆ガールズ第1話の感想・考察です。
今回は第1話のみで、あと11回に渡って各話の感想を書いていきます。

(※8/16追記 ちなみに放送当時に一度視聴済みです。ブログを書くにあたりもう一度1話から視聴しています)

冒頭にて世界観の説明がありますが、この部分を最後まで覚えてる人なんて果たしているのでしょうか…。

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「指導者・支配層・富裕層のほとんどが忽然と姿を消した→なんやかんやでご当地色を強めながら発展」

こういった大前提でありざっくりとした「if」にはあまり細かい理由はいらない、というのがSF的な楽しみ方をする作品なんだなという印象を受けました(最終的には実際どんどんSF方向に走って行きますが…)。
「楽しい」に理由などと無粋なことはナシだと言わんばかりの、「ローリング☆ガールズ」というお祭り作品の根底がここにうかがえます。

そして本作で何と言っても注目せずにはいられないのが、主演声優ユニットによるTHE BLUE HEARTSカバー楽曲の数々です。
執行さんとマッチャグリーンの対峙シーンの頭でドラムのハイハット二つ+フィルインが鳴って、ロックな感じのBGMだなと思った次の瞬間に可愛らしい声で「ヒマラヤほどーの!」と聞こえてきたときには嬉しいやらおかしいやらで一気にテンションが上がりました。
他の曲も一通り聴いたのですが、基本的にはアレンジは原曲に近いものになっていますね。
思い切りアレンジしまくるカバー曲というのも僕自身結構好きではありますが、女性声優がボーカルを務めるというだけで印象は大幅に変わっているので、今回のこのアレンジはTHE BLUE HEARTSファンにとっても安心できるのではないでしょうか。

そしてそして執行さんVSマッチャグリーンROUND1。

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ここまで無駄に派手な戦闘シーンってなかなか見ないですよね。
ケレン味大放出です。
「激しく見せよう」とか「技の威力を強そうに見せよう」とかなどではなく、ひたすら「派手で」「キラキラした」戦闘シーン。
ビビッドカラーのエフェクトもとても戦闘シーンに使うようなエフェクトには見えませんが、それがまた他作品にはない一つの「世界観」すらも作り出しています。
「マッチャパァァァンチ!!」って言いながら多少のキラキラは出るものの完全にただのグーパンなところもいいですね。

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執行さんとマッチャグリーンの戦闘スタイルの違いが如実に表れていると思います。

開始5分でここまで「面白そう!」と思わせることができる作品はそうそうないと思います。
オリジナル作品というネームバリューの無さを全て吹っ飛ばす5分間ですね。

戦闘が一段落したところでタイトルロゴ画面になるのですが、このロゴの小ネタを一つ。

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映画好きの方なら気付いているかもしれませんが、アメリカンニューシネマの名作「イージーライダー」のロゴのパロディになってるんですよね。
ロードムービーという作品ジャンルも含め「イージーライダー」の影響は散見されるので、僕が気付く限りこの後も紹介していきたいと思います。

ちなみにこの「イージーライダー」ですが、僕の大好きな映画の一つです。
内容よりも、アメリカの広大な大地を走り抜ける主人公たちをダラーッと眺めるのが最高に心地良いです。
ローリング☆ガールズが好きな人であれば是非とも見ておいていただきたい作品です。

閑話休題

タイトル明けのこのカット。

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茶畑が広がる道を自転車で走る女子高生という画があまりにも美しい。
ついさっきまでモサたちのド派手なバトルを繰り広げておいて、モブゆえの美しさを見せるこの落差が心に刺さりますね。

引き続き森友家での森友母子の会話のシーンですが、ここもマッチャグリーンの立ち位置などの説明をしつつも、普通の(=モブ)母子であることを強調した作りになっていると思います。
実際の団子屋の母子の会話なんて聞いたこともありませんが、このシーンを見ていると、普通の団子屋の母子ってこんな会話するんだろうと思えてきます。
モサの派手さも素晴らしい本作ですが、この「普通」の演出にクドさがなく心地よく見られるのも大きな魅力の一つだと思います。

しかし普通普通と書いてきましたが、望未がどっからどう見ても美少女なのは覆せない事実なわけです。

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あぁ、こんな看板娘がいる団子屋なら毎日通う…。

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そして執行さんVSマッチャグリーンROUND2。
いったんモブのモブらしさを映しておいて再度のド派手バトルですよ。
ド派手バトルをしておきながら最終的に絞め技→マスク剥がしというプロレスチック(しかも泥臭くヒール的)な展開に持って行くのもまた落差があってよかったです。
この第1話Aパートは緩急が非常に効果的に使われていましたね。
そしてくすぐられてバカ笑いする執行さん可愛い。

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その後ハイパーマッチャロボのブラフに見事に引っかかる執行・音無コンビも可愛かったですね。

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執行「ロボだって!?」
音無「そのような情報は…!」
執行「しかもいきなり『ハイパー』だぞ!」

 うーんこの馬鹿っぽさ最高ですね。

 


…と、思ったより長くなってきたので今回はAパートまでで。

Bパートは次回書きます。

(※8/16追記 Bパートの感想・考察書きました)

ところで冒頭に出てきた桜田門駅と国会議事堂がピンク色で萌えキャラペイントされているのは「桜だもん!」っていうニュアンスの洒落…なのでしょうか。

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【シン・ゴジラ】ゴジラへの恐怖と応援する気持ちの同居

3.11と「シン・ゴジラ

7月31日の暑い日の朝、僕は初代「ゴジラ」を見ていました。

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白黒の画面の中、焼け野原になっていく東京の街を見ながら、終戦から9年しか経っていない1954年に「ゴジラ」を見た当時の人たちの心中がどんなものだったのだろうかという空想が頭の中をグルグルと巡っていました。
しかし、空想は空想にすぎず、頼りのWikipediaの「当時の人々は~」といった記述は単なるネット上の記述にすぎず、実際のところは当時見た人に尋ねる以外になく、ご老人に知人の少ない僕にはそれを知る手立てはありません。

その日の夕方に見たのが「シン・ゴジラ」でした。

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誰が見てもわかる通り、3.11を強く意識して作られた作品です。
今回「シン・ゴジラ」を見て覚えた感覚が初代「ゴジラ」を見た人のそれと全く同じとは言えませんが、50年後に「シン・ゴジラ」を見た人には味わえない感覚だと思うと、大変貴重な経験をできているとは思います。

3.11関連で更に言えば、件の原発事故があり、とにかく「原子力」というものに対して敏感になった日本において、もう二度と(少なくとも僕が生きている間ぐらいの期間は)ゴジラ映画は作られないだろうと思っていました。
仮にできたとしても、「原子力」の設定はかなり控え目になると思ったのですが、ここまで真っ向から描写されていたのは意外です。そしてその点について「不謹慎だ!」と騒ぐ人がほぼ見受けられないのは更に意外でした(もちろんゼロではないんでしょうが)。
(少なくともフィクションにおいては)「原子力」を題材とすることについて問題が無いということを知らしめたのは、日本のエンタメ業界に大きな影響を与えたのではないでしょうか。

 

造形

まず、予告編などでパッと見た感じでは、平成シリーズで育ってきた僕にとって、ゴジラが帰ってきたと素直に思わせてくれる印象でした。
ギャレス版がアレだったからでしょうか…。
赤くただれた皮膚やら目の印象やら尻尾の異常な長さやら、明確に差別化してきた部分は多々ありましたが、あくまで"ゴジラ"の範疇で「格好良く」「恐ろしい」デザインに仕上がっています。
長い歴史の中でデザインも立ち位置も大きく変わっていったゴジラですが、原点を辿ればあくまで「恐怖」の象徴です。
予告編やポスターといった情報の少なかった時点でもその恐怖はビシビシ伝わってきたのは、怪獣の造形として非常に優れていた証拠と言えるでしょう。

 

恐怖

恐怖という意味でゴジラの原点に戻ったという印象も受けますが、実際に感じる恐怖や絶望感は圧倒的に初代よりも「シン・ゴジラ」の方が上です(映像技術の進歩があるので当たり前かもしれませんが)。
何をどうやったって人間はゴジラには勝てない、もう地球はお終いだ…という絶望感は、過去のゴジラシリーズだけでなく、今まで観たあらゆる作品の中でもトップクラスでした。

例えば「ウルトラマン」ならウルトラマンが助けに来ますし、「アイシールド21」ならヒル魔の奇策が残っていますし、安い少年漫画ならご都合主義で上手くいきますし、良い少年漫画なら主人公がそれまで培ってきた努力が理にかなった展開を経て開花します。
しかし、「シン・ゴジラ」ではゴジラという存在以外は徹底的にリアル路線です。
スーパーXのような超兵器もなければモスラのような人間を守ってくれる怪獣もいない。

取り得る手段は、自衛隊か、ヤシオリ作戦か――核。

なのでこの3つのうちの「自衛隊」がタバ作戦失敗で破れたときにはこの世の終わりを感じましたね。

 

負けるなゴジラ

ところで「シン・ゴジラ」を観ていて「ゴジラ負けるな!」と思ってしまった人はどれぐらいいるのでしょうか。
僕はタバ作戦の中で一瞬その感情が芽生えました。

最初は口径の小さめの銃火器から攻撃を始めて、徐々に火力を上げていく作戦内容だったのですが、火力が上がっていく中で、ゴジラに着弾したときの爆煙も徐々に大きくなっていきます。
そして、ゴジラの大部分が爆煙に包まれ、パッと見ゴジラにかなりのダメージを与えているように見えます。
ゴジラ登場からずっと「どうやって倒すんだろう…」と考え、終盤は「ヤバい!もう人類滅びる!!人間頑張れ!!」と思っていたのですが、このときだけは「え…こんなに爆撃食らってゴジラ大丈夫なん…?ゴジラが負ける…?いやだ!ゴジラ頑張れ!!」とゴジラを応援していました。
制作側が狙ってこう感じるように演出したかは知る由もありませんが、不思議なことにあの一瞬だけはゴジラ側に感情移入していました。

僕は平成シリーズを見て育ってきた人間なので、ゴジラは「人間の味方ではないけど悪い怪獣じゃない」という印象がすり込まれているのでしょうか。
これは元々ゴジラに対して持っている印象によって全然変わってきそうですね。

 

終わりに

ラストシーンの人間っぽいアレは何なのかとかストーリーに関する考察は気が向けばまた。
でもそんなの他の人がとっくにやってるだろうからなぁ…。

【ヨコハマ買い出し紀行(芦奈野ひとし)】アニメ版の演出のアレやコレや。あとエロス。

第9回は、前回の異色終末SFで取り上げた「ヨコハマ買い出し紀行(以下ヨコハマ)」について詳しく書いていきます。

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今までのエントリではは基本的にその作品を未読の人への紹介的な内容でしたが、今回は読んだ人向けです。

原作以上の「ヨコハマらしさ」があるアニメ版

アニメ版は基本的に原作に沿ったストーリーです(話数のシャッフルはありますが)。
しかしその中で原作にはないカットや"間"が多く挿入されており、それが「原作以上のヨコハマらしさ」という不思議な感覚を生み出しています。


たとえば原作2巻12話(アニメ版1話終盤)でアルファさんがカメラを持っておじさんのところに行って、おじさんを撮ろうとするシーンです。
原作でもおじさんはそのとき水撒きをしていたのですが(1コマだけ映っています)、アニメ版ではその撒いた水がだんだん乾いていく様子で時間経過を表現しています。

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上の3つのカットはそれぞれ別カットで、シーンとシーンの間に挟まれています。
それぞれのカット自体はさほど長くないのですが、同じ構図で少しずつ変化していくものを見せることで、体感的に長く感じられるのです。
このシーンは原作でもポンポンと進んでいくシーンなので、このカットを挟まずとも成立します。
しかし、この"間"が入ることで、アルファさんが長々じっくりと悩んでいるのを感じることができます。


また、原作2巻9話(アニメ版1話中盤)のアルファさんとココネの二人で車を待っているシーンについて。
ここも基本的に原作通りの進行ですが、ところどころに周辺の風景を写すだけのカットが挿入されます。
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原作でも確かにこの場所のすぐ近くで二人は話しているのですが、これらの風景はほとんど描写されません。
ともすれば作品の印象すら変えかねないこれらのカットですが、原作も読みアニメ版も見終わって振り返ってみると、ヨコハマといえばこの風景といっても過言ではないカットになっています。

贅沢なアニメ

本作を表現するときに「贅沢なアニメ」という言い方ができます。
というのも、要所要所のカットの尺が非常に長く取られているためです。

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例えばアニメ第1話終盤のこのカット、「空が段々と暗くなっていき、街灯が点く」というカットなのですが、台詞なしで約17秒あります。
原作ではたった1コマのシーンです(当たり前ですが)。
もちろん、とにかくカットが長ければいいというわけではありません。
短く切るべきところはそうすべきですし、大事な場面でも長いカットばかり多用していると間延びしてしまいます。
「カットの長さ」を上手く使い、贅沢でのんびりとした空間を生み出しているのが、本作の見所の一つと言えるでしょう。

また、アニメ版のこの演出は、原作の「読み方」にも影響を及ぼします。
原作も非常に台詞が少ないので、意識しなければトントンと読み進んでしまいます。
原作だけ読んでいるとそのまま読み終わってしまうのですが、アニメ版を見た後だと、早回しで読んでいるような感覚になります。
そこで、アニメ版のテンポを思い出しながら読むと、意識せずに読んだときと全く違う印象を受けるはずです。
もちろん漫画の読み方など人それぞれですし、この読み方が必ずしも正しいとは思いませんが、アニメ版は一つの読み方を示してくれる「参考書」のような存在とも言えるでしょう。

ノスタルジーとエロス

真面目なヨコハマファンからはひんしゅくを買いそうですが、本作を語る上でどうしても避けて通れないのがいわゆる「萌え・エロス」です。
本作には非常に似つかわしくない言葉だということは重々承知していますが、的確に表現する言葉が見つからないのでひとまずこれで。
具体的な例を挙げると、

・アンドロイド少女
・アルファさんとココネの百合
・アルファさんとタカヒロのおねショタ
タカヒロの成長による逆転
・ロリ幼なじみのマッキ
・牛乳を飲むと「じ~~~ん」とくるアルファさん

詰め込めるだけ詰め込んでいる感じすらしませんか。
まあこれらはあえて俗っぽい言い方をしただけですが、上記の要素全てが、押しつけがましくなく物語に組み込まれているのが他の「萌え作品」とは一線を画している点だと思います。

それにしても「アンドロイド少女同士の百合」の作品って意外に少ないみたいですね。
そう考えるとかなりニッチな層を狙った非常にフェティッシュな作品とも…。
「ヨコハマを百合作品なんかと一緒にすんじゃねえ!!」というお怒りの声も聞こえてきそうですが、初対面でチューしてその後も意識しまくってる描写バリバリで百合じゃないと言えますか。

僕はプリズマ☆イリヤみたいに直球えっちな作品も大好きですが、ヨコハマにはそれとはまた違ったドキドキ感があると思うんです。
本作のようなエロからほど遠い作品独特の「ノスタルジーなエロス」ってあると思いませんか?

小学4年生の夏、黒いぐらいに青い空、焼き付けるような陽差し、うるさいぐらいの蝉の鳴き声、そして近所のカフェのお姉さん…。

直接的な描写がないだけに、こういったキーワードだけでかなり想像を膨らませることができます。
単純な「萌え」とも単純な「エロ」ともひと味違う「何か」がヨコハマのそこかしこにちりばめられているのです。

三浦半島に行った話

まだ本作を知る前のある日のこと、僕は原付で三浦半島をぐるっと一周する日帰りの旅行に行きました。
半島の先の方まで行くと広々とした田園風景が広がっていました。

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しばらく経って初めてヨコハマを読んで作中の田園風景を見たとき、三浦半島のこの景色を思い出しました。
しかし、2巻の表紙折り返しコメントにこんなことが書かれていました。

風景についてのおたよりに、「沖縄に似た所がある」という方や「北海道のイメージだ」という方がありました。
この場所は、そこに行ってみると拍子ぬけするほどありふれた、そこら中にあるような所です。

実際の舞台である三浦半島に行ったという点で、それ以外の土地に対して持つ感覚とは微妙に違うのかも知れません。
しかし、僕が見た田園風景も決して特別ではない「そこら中にあるような所」なのだろうと感じました。



…ちょっと散歩でもしてみようかな。

日常系好きにも楽しめる「異色終末SF」4選

第8回は、「異色終末SF」と題して、一風変わった終末SF作品について語っていきます。
そもそも終末SFとは何ぞやということで、Wikipedia「終末もの」の概要を引用します。

終末もの(しゅうまつもの)あるいは破滅もの(はめつもの)とは、フィクションのサブジャンルの一つで、大規模な戦争、大規模な自然災害、爆発的に流行する疫病などの巨大な災害、あるいは超越的な事象によって、文明や人類が死に絶える様を描くもの(Apocalyptic fiction)、あるいは文明が死に絶えた後の世界を描くもの(Post-apocalyptic fiction)である。

北斗の拳』や『ナウシカ』などの世界観を想像してもらえれば分かりやすいかと思います。
今回は、「終末」の世界観を取り入れつつひと味違った雰囲気を醸し出しているSF作品たちをご紹介します。

 

少女終末旅行(つくみず著 - BUNCH COMICS)

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タイトルの通り、二人の「少女」が「終末」世界を「旅行」する漫画です。
二人が旅を続け、その行く先々で見つけた施設やそこで出会った人々とのエピソードをかなりまったりとしたテンポで描いています。

第2話「戦争」で、主人公のチトとユーリは食料を探して旅を続けるうちに、武器の投棄場のようなところに辿り着きます。
そこで普段はボケーッとしているユーリ(画像右)がこう言います。

昔の人も食料不足だったんだよね
なんで武器ばっかり作ったの?

真面目に回答すれば、
「たまたま彼女らが辿り着いたのが武器の投棄場なだけで、昔の人も武器ばかり作っていたわけではない」
といったところでしょう。
しかし、何も知らないまっさらな目で見たらそう思うのか、とハッとさせられます。

このように、読み終わった後に少し自分の中で考えなおしてみたくなる内容だったり、かと思えば何も考えずのんびりふわふわできる日常的な内容だったり、「終末」という世界観を存分に堪能できる作品です。

冒頭に貼った画像の通りざっくりとした絵柄ですが、それが作風と絶妙にマッチしています。
見開きのキメのコマなどは息をのむような印象すら受けます。

「異色終末SF」としてご紹介しましたが、「日常もの」が好きな人でも「異色日常もの」として楽しめる作品だと思います。

Web連載で無料公開されているので是非ご一読あれ。

 

(※2017/7/5 追記)

アニメ化が決定しましたね。

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ティザービジュアルは作品の雰囲気が出ていて非常に良いです。

原作の作風が作風だけに映像化には期待も不安もありますが、今は座して待つのみです。

 

ヨコハマ買い出し紀行芦奈野ひとし著 - 月刊アフタヌーン

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1994年から2006年までの12年間に渡り連載されていた漫画です。
1998年と2002年の二度OVAが発売されました。
海面上昇により沿岸部が海に沈み、穏やかに終末へと向かっていく近未来の三浦半島(とその周辺)が舞台です。

原作1巻の表紙折り返しの作者コメントが非常に印象的です。

お祭りのようだった世の中がゆっくりとおちついてきたあのころ。
のちに夕凪の時代と呼ばれるてろてろの時間、御案内。夜の前に、あったかいコンクリートにすわって。

 OVA1期のEDでナレーション的に挿入されるので、OVA版を見た方には特に印象深いかと思います。

このコメントを読んで「おっ」と思える方であれば原作もOVA版も強くオススメします。
期待通り、あるいはそれ以上の「てろてろの時間」が迎えてくれることでしょう。

本作の主人公は「ロボットの人」の女性アルファさん。
特に4年で寿命を迎えることもなく、「滅び行く世界の中に残り続ける人」という本作中でSF的にも大事な役割を果たしています。
とは言っても上述の通り悲壮感はほぼ無く、どちらかと言えば「哀愁」という表現の方がしっくりきます。

また、本作では、「海に沈んだ街」が随所で(特にOVA版では多く)描かれているのですが、これも不思議なまでに悲壮感はなく、「美しい風景」として読者(視聴者)の頭に焼き付けられます。

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普通「海に沈んだ街」という絵は、ウルトラマンレオの1,2話など、どうイメージしようとしても絶望的な場面に繋がってしまうものです。

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それを描き方一つでこれほどまでに「あたたかいもの」として見せられているのが、本作の最も優れた点の一つだと思います。

 

人類は衰退しました田中ロミオ著 - ガガガ文庫

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2007年から2014年まで出版されたライトノベルです。
2012年にTVアニメ化されました。
ヨコハマ買い出し紀行」と少し似ていて、人類がゆったりとした終末を迎えつつある世界が舞台です。
こちらは世界観としては「ファンタジー世界の田舎町」といったところでしょうか(実際には「アメリカ」などの単語も出てくるので地球の未来が舞台ではあるようですが)。

本作の最も重要な要素が「妖精さん」です。

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今で言う人類は衰退し「旧人類」と呼ばれ、「現人類」として妖精さんが地球に繁栄しています。
非常に高度な文明を持ち、物理法則など完全に無視した道具を平然と作り出します。
主人公の「私」が妖精さん達の引き起こす事件に巻き込まれながら話が進んでいく、というのが本作の基本的な展開です。

本作は上記2作品と比べるとかなりSF色が強い作品になっています。
基本的には文庫1冊に中編が2話ずつ収められている形式なのですが、その中でもファンタジー要素の強い話、怪奇小説めいた話、タイムトラベルの話、漫画雑誌のアンケート制(あるいはそれに踊らされる読者)を痛烈に皮肉った話、実際に起こった出来事を独自の解釈で発展させた話、主人公が宇宙まで飛び出していく話など、かなりバラエティに富んでいます。
しかし、各エピソードの根底には"SF"が常に存在し、作品全体に不思議な統一感があります。

「普段はSF小説しか読まないけど、たまにはラノベでも読んでやるか」という方には大変とっつきやすい作品だと思います。

 

ドラえもん のび太と鉄人兵団藤子・F・不二雄著 - コロコロコミック

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大長編ドラえもんの第7作。
1985年から1986年にかけて連載され、連載終了直後の1986年に映画が公開されました。

あらかじめ言っておきますと、本作は終末SFではありません。
「厳密には終末SFではない」などではなく、断じて終末SFではありません。

が、実は数多くのSF作品を世に出している藤子・F・不二雄先生。
本作は大長編ドラえもんの中でも群を抜いて"SF"しています。

ロボット軍(鉄人兵団)の地球侵略、ディストピアタイムリープ、そしてもちろんドラえもんひみつ道具など、様々なSF要素がありますが、終末SF的だと感じたのは、ひみつ道具「入りこみ鏡」「逆世界入り込みオイル」で入り込むことができる「鏡面世界」という設定です。
鏡面世界とは、文字通り鏡の中の世界で、現実世界が左右反転されたそのままの形ですが人間や動物は一切存在しません。
地球を侵略しに来た鉄人兵団にのび太たちが抗戦する際、地球が破壊されないようにするため、この鏡面世界に誘い込みました。
そして鏡面世界を舞台に、強大な鉄人兵団との壮絶な戦いを繰り広げるのですが、この「自分たち以外誰もいない世界での絶望的な戦い」というのがまさに終末SFの世界観そのものなのです。

本作で最も印象に残っているのが、逃げ出したリルル(メインゲストキャラ、ロボットの女の子)とそれを追ってきたのび太が、鉄人兵団に破壊された街の地下鉄入口で対峙するシーンです。

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原作ではわずか2ページの短いシーンですが、この「地下鉄入口」という場所が、他にはない独特の雰囲気を醸し出しています。
破壊された街の絶望感、ロボットと人間の間で揺れるリルルの心、人類を守るためにはリルルを撃たなければいけないというのび太の葛藤など、多くの意味が込められた名シーンです。

なお、リメイク版である「ドラえもん 新・のび太と鉄人兵団 ~はばたけ 天使たち~」で主題歌を勤めたBUMP OF CHICKEN藤原基央氏も、当時のインタビューで、地下鉄入口のシーンを「いちばん思い入れのあるシーン」と語っています。
僕自身BUMP OF CHICKENのファンなので、藤原氏が僕と同じシーンに思い入れがあると知って少し嬉しかったです。

藤原氏もオススメの本作、原作・旧劇場版・リメイク版とどれも素晴らしい出来なので、是非とも全て読んで(観て)いただきたい作品です。

 

終わりに

これらの「異色終末SF」は、一般的な終末SFが好きな人にこそ読んでいただきたいと思っています。
もちろん、予備知識がなくてもどれも大変面白い作品です。
しかし、終末SFに登場する設定の一般的な使われ方に対して、これらの作品における使われ方の特殊さや異様さがわかる人にとっては、その「違い」も大きな楽しみの一つになるでしょう。
そうでない人も、これらの作品を通して、普段の生活であまり考えることのない「終末」の世界に触れてみていただければと思います。

「エロゲ」がアニメや漫画とどう違うか

第8回は、「エロゲ」というものについて。

tkntkn0703.hatenablog.com第2回で『まいてつ』というエロゲについてお話ししましたが、今回はエロゲそのものについてお話しします。
ちなみに今回のエントリでは「エロゲ」という単語の意味合いは、便宜上「エロシーンはあってもなくてもよい。ある程度ストーリー性のあるPCゲーム」ぐらいにさせてください。

【エロ無し】CLANNAD恋姫†無双【エロ多い】

エロの度合い的にはこれぐらいの幅で。

何故アニメでも漫画でもなくエロゲなのか

いきなり答えの出しにくいテーマを挙げてしまいましたが…。
エロゲ業界の方がもし当ブログを見てくださっていれば是非ともスマートな回答を頂きたいところですが、とりあえずは自分なりの考えを書きます。

アニメや漫画にないエロゲの最大の利点は、やはり「ルート分岐」です(厳密に言えばアニメでも漫画でもできなくはないですが、ここでは割愛)。
同じ世界観のもとに各ヒロインのルートに分岐して、それぞれのエピソードを楽しむことができます。

それと「主人公視点である」ということもエロゲの特徴の一つです。
ヒロインがプレイヤー自身に語りかけてくるような感覚はアニメや漫画では非常に再現しにくいかと思います。

エロゲではありませんが『THE IDOLM@STER』や『艦これ』といった「ヒロインが主人公のことを肩書きで呼ぶゲーム」において、この感覚は顕著になります。
「プロデューサー!」や「提督ゥ!」という呼びかけは、どんなプレイヤーにも当てはめることができます。
このシステムは「上司を肩書きで呼ぶ」という文化がある国でしかできないことでしょう。
例えばアメリカでアイマスや艦これがリリースされても日本ほどのヒットにはならないんじゃないかなぁと思います。

「主人公視点」というのはハーレム状態になったときにもまた威力を発揮します。

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(『まいてつ』より)

全ての女の子が自分の方を向いている状況。
なかなか圧巻です。

攻略順における3つのパターン

分岐システムのあるゲームをプレイする上で重要なのが「攻略順」です。
これには大きく分けて3つのパターンがあります。

1.メインヒロインから攻略する

これは作品の世界観を楽しむのに最も適した攻略法でしょう。
作る側としてもその作品で一番伝えたいテーマはメインヒロインのシナリオに充てるでしょうから、極端な言い方をすればサブヒロインは「if」の世界です。
それら「if」の情報が入る前にメインルートを攻略することで、作り手の意図したものと最も近いものをプレイできます。

2.自分の好みのヒロインから攻略する

ただ単に己の欲望に忠実なだけに見えますが、好みのヒロインを最後の楽しみに取っておかずに最初に攻略することに大きな意味があります。
ほとんどのゲームには「共通ルート」が存在し、そこから各ルートに分岐していきます。
また、別々のルートでも完全に分岐しきるまではテキストが同じ場合もあります。
多くのプレイヤーは「再開するのは分岐から」「既読文章はスキップ」でプレイすると思います。
好みのヒロインのルートでは、そうやって文章が不完全な形で読み進めていくのがなんとも勿体なく思えてしまうのです。
単純に「分岐から再開」「既読スキップ」をせずに最初からきちんとプレイすればよいだけの話ではあるのですが、なかなかどうして一度読んだ文章というのはおざなりになりがちです。
そういった事態を防ぐために、好みのヒロインを優先的に攻略するというのは一つの優れた手段だと言えます。

3.直感のままに進める

これはゲーム的な楽しみ方をするタイプです。
攻略サイト等は一切見ない。
行きたいルートに行けなくても、BAD ENDになってしまっても、それも楽しみの一つとして受け入れる、最も自然で、かつある意味最も贅沢なプレイスタイルと言えるでしょう。

エロゲのシナリオに求めるモノ

僕がエロゲのシナリオで最も重視しているのは「そのヒロインの魅力を最大限に発揮できているか」という点です。
例として、先日プレイした『見上げてごらん、夜空の星を』を挙げます。

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天文部を舞台とした王道青春部活モノです。

このゲームには「ひかり」「沙夜」「ころな」「織姫」という4人の攻略ヒロインがいます。
単純なストーリーの良さで言えば圧倒的にひかりルートでした。
しかし、上述の「ヒロインの魅力を発揮する」という観点で言えば、ころなルートが白眉でした。

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この場合、「どのルートが一番よかったか」と聞かれると、僕は「ころなルート」と答えるでしょう。
アニメや漫画とも違う、「各ヒロインのルート」が存在するエロゲならではの価値観だと思います。



マブラヴ オルタネイティヴ』は特殊な事例ということで。

【おまけ】エロゲっぽい曲

これは話半分で聞いてもらっていいのですが…。


時をかける少女』主題歌の「ガーネット」って、なんかエロゲっぽさないですか。

youtu.be時かけ』の夏っぽさとか青春っぽさとか含めて…ね?

【ロウきゅーぶ!(アニメ版)】ロリ作品のあるべき姿とは

第7回は、「ロウきゅーぶ!」を見て『ロリ作品』というものについて思うこと。

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当ブログでもロリ好きを公言してきた僕ですがが、実はこの作品は見たことがありませんでした。

ロウきゅーぶ!」は、

 ・百合アニメにおける「マリア様がみてる
 ・SF映画における「2001年宇宙の旅
 ・怪獣映画における「ゴジラ
 
のように、世間ではロリ作品の代表とされているのではないでしょうか(ちなみに僕の中でのロリ作品の代表は「ロリータ(ナボコフ)」です)。
ここは一つ教養のためにと思い本作を見始めたのですが、「ロリ作品の皮を被った一般の萌えアニメ」という印象しか受けることができず、5話で視聴を断念してしまいました。

 

主人公とヒロインたちの初顔合わせ

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はっきり言ってこれはない。
「これはない」という表現があまり好きじゃない僕でさえも言いたくなるほど「これはない」。

メイド服なんか着たらせっかくの"小学生"というアドバンテージが全然活かせないじゃないですか。
「ロリメイド」という枠もありますが、それは「デフォルトでロリメイドキャラ」か、「普通のロリキャラが、ある程度登場回数を重ねて視聴者にもキャラクターを掴ませてからのメイド服着用」のどちらかにすべきです。

…だいぶ僕の個人的趣味が出てしまった気もしますが、ともかく「とりあえずメイド服着せときゃ食いつくやろ!」感が滲み出ていて非常に印象の悪い冒頭でした。

 

普通のラブコメじゃん!!

本作はヒロインが小学生ということでパッと見はロリ作品に分類されます。
しかし本作で問題だったのが、
「ロリ作品であるにも関わらず、主人公が背徳感や罪悪感なく普っ通にラブコメしてる」
という点です。

この点が本作を「一般の萌えアニメ」と思わせてしまう一番の原因だと思います。
小学生ヒロインでなければ僕もわざわざこんな口出ししません。
「ほら、ウチの作品ヒロインが小学生とかマジロリコン!ヤバいやろ!!」という話題性だけを重視して一般向けに広く売り出してる(いわゆるファッションロリコン向け)感が気にくわないのです。

 

こどものじかん」との比較

じゃあどういう作品が本当の「ロリ作品」というのか。
そう、ロリ作品の金字塔といえば「こどものじかん」です。

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主人公の青木先生(小学校教諭)は、終始「小学生に欲情しちゃだめだ!」というスタンスをとり続けます(小3のヒロイン九重に対して第2話の時点で欲情してるので完全にアウトですが)。
青木先生は理性でいろいろと押さえ込んでいますが、基本的に小学生に欲情しっぱなしです。
そんな青木先生のこんなモノローグがあります。

そうか
オレが好きなのは九重であって

九重が子供だから好きなんじゃない
てことは…

ロリコンじゃねえ!

完全にロリコンの論法ですね。
こどものじかん」は基本的にこんな調子で「青木先生やべえよ…」みたいなのを楽しむ感じです。

「ロリ作品かくあるべし」と思わせてくれる作品です。

 

逆に…

逆に考えると、青木先生は「わかりやすく危険なロリコン」ですが、ロウきゅーぶ!の主人公は「一見自然な感じで危険性を感じさせないガチのロリコン」という意味で相当な危険人物なのかもしれません。

いずれにせよ「僕の好きなタイプのロリコン」ではないことは変わりませんが。